一昨日、きのうの拙ブログに対してたくさんの意見が寄せられました。
住宅建築に対しての「世論」が盛り上がるのはいいことだと思います。
日本建築学会北海道支部の「建築作品発表会」の様子を伝えているワケですが
当日は立ち見で参加される方もいたほどの盛会。
こうした会が初期どうして企画されたか、その経緯について話しておきたいという
関係の方からの申し出までいただき、さっそく今月末に「取材」日程も決まりました。
北海道での建築への関心の高さには、こういった活動も与っている。
やはり先人のみなさんが作ってきた「文化的風土」があるのだと感じています。
北海道は気候環境的に日本ではいちばん厳しい環境。
そのなかで暮らしているみんなの共通の願いとして「シェルターとしての環境」を
強く希求する共通語が存在していると感じます。
先日の東京での「取材」時には「蒸暑のアジア圏」とでもいうべき
「環境」論議の南方への拡大視線が感じられた。
たしかに断熱を必ずしも前提としない地域の「環境建築」という視線もあるでしょう。
しかしまず断熱という概念は汎世界的な概念であり、
どんな地域であっても、そのベース技術が建築を解決する基本部分がある。
北海道は寒冷地建築の技術を獲得するのに、日本からは学べなかった。
しかたなく北欧や北米にその知恵を求めてきた。
こういう「言うことを聞かない」ところが北海道にはあるのかもしれない。
北海道の主要な研究者たちはほとんど北欧・北米での研究経験を持っている。
最近はドイツパッシブハウスが日本に紹介されたことで
「最高水準」視する傾向が存在するけれど、やや違和感は否定できない。
やはり世界の「寒冷地帯」が生存への共通の願いとして断熱技術を研究開発した。
その成果が世界に大きな革新要素として波及しつつある。
鉄、ガラス、コンクリートに続く第4の建築革命が「断熱」であることは明らか。
その断熱が人間生活をいかに豊穣にできるのか、
違う表現で言えば、断熱が変える空間デザインの可能性こそがいまの焦点ではないか。
そういった認識が共通化される必要がまずはあると思います。
そこが軽視された論議では、どうしても論議が噛み合わない。
写真は発表されていた「公共建築」の事例。
釧路湿原内の「温根内ビジターセンター」です。
710㎡ほどの自然観察センターで木造・外断熱の建物だとされた。
最近の公共建築の「木造化率」は著しく高まっているのだという。
どんな公共建築であっても、北海道での論議にさらされれば、
いかに「あたたかい空間が担保されているか」が共通言語になる。
それが共感を加速する共通認識を生み出していく。
そういう環境にあるから、季節四季折々に公共建築を十全に楽しむことができる。
だから、多くの人間にとって建築が共通の話題になれる。
今の段階で言えば、そういった「世論」の先にこそ
豊かな人間環境としての建築の可能性が広がるのではないか。
そんな思いを抱きながら、公共建築の発表の数々を楽しく聞いておりました。
Posted on 12月 4th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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