先日の断熱リノベについてのオープンセミナーでは、
オーソドックスというか、常識的に正調に抜本的に改修した
建築家・山本亜耕さんの事例も発表されていました。
こちらの事例では、4,000万円かけて新築した住宅だったけれど、
寒くて光熱費がかかりすぎて、今回減築した上で
断熱リノベしたという事例でした。
おおむね2,000万円かかったとされていましたが、
工法としては、既存建物をていねいに解体して、
現代的性能にまで高める、いわば建て替えに等しいような事例でした。
こちらの方は手法的に現代住宅技術として常識的なものでしたが、
目を見張らされたのは、その「既存解体」の過酷さ。
前面道路幅員などの現場条件的に解体のための機械を使用することが出来ず、
現場での手作業での解体を余儀なくされたと言うこと。
上の写真では、電動釘打ち機で打ち込まれた木材へのクギが
建築時にはきわめて簡単に施工できる利便性はあるけれど、
いざ手で解体、クギ抜きするとなったときには、
そういった事態への想像力がまったく働いていないのが現実。
ほとんど不可能なまでになっている事実を思い知らされる。
山本さん曰く、電動釘打ちが開発されたのなら、電動クギ抜きも
同時に開発するべきだということでした。
たしかにその通りで、建築技術進歩に於いては建設時コスパにだけ
合理化基準が追究され、作業効率進展が図られてきた。
しかしスクラップ&ビルドから、ストック重視型へと国レベルの
住宅施策が変化してきているのに、こういう工具レベルですら
なんの「対策・制度設計」も講じられていないことを明瞭に知らせてくれた。
さらには2枚目の写真ですが、これは廃棄物の分別作業の様子。
日本ではある時期から、ゴミの分別化が声高に叫ばれてきたけれど、
その結果というか流れとして、放置された空き家が増大してきた。
いま古家を解体するには、百万円〜数百万円以上のお金が掛かるのが常識。
ゴミの分別自体の必要性は十分に理解出来るけれど、
では、社会的要因において空き家にせざるを得ないなかで
ただただマイナスでしかない出費をほんとうに個人は負担し続けられるのか。
先日もNHKローカル放送でその出費を強いられた高齢者のことが
放送されていたけれど、こういう負担が永続するのは現実的だろうか?
そうであれば、保険制度のように建設時や居住時に税として解体費を負担させ、
収入も限られることが展望される高齢時には、一時負担を縮小させるような
そういった社会制度、システムを構築すべきではないか。
空き家の現状に対してそういった解決策を考えられないのだろうか。
いま個人情報保護法が、いろいろな意味で
社会に不合理を生み出す結果も出来させてきているとされている。
場合によっては合理的社会営為に於いて障害になってもいるとされる。
どうもこのゴミ分別も似たような、通ずるものを感じざるをえない。
手間を異常にかけて処理せざるを得ないけれど、
それがかえって処理をさせない不合理を生んでいるというパラドックス。
存続のための合理性が担保できない方向に、社会が行きすぎているかも。
ちょっと暗澹とした思いを持った次第です。
Posted on 12月 13th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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