まだできていなかった(笑)。
きのうは北海道十勝の大樹町にあるLIXILさんの施設群、
メムメドウスにて、国際学生コンペの2015年度の作品発表会。
こういった「学生コンペ」というようなものには
はじめて取材招待され、審査委員長・隈研吾さんという
ビッグネームにも惹かれて、見学して参りました。
ちょうど韓国人スタッフに国際免許も下りたので
かれの右側ハンドルでの運転練習も兼ねての長距離移動取材。
韓国国内での運転経験もまだまだ少ないということなので、
まずは慣れることが最優先と言うことで、
クルマの少ない十勝は、好都合でした(笑)。
わたしは住宅雑誌を自分ではじめた人間で、
どっちかというとコミュニケーションや情報の世界から
住宅建築の現場的な世界に入ってきた人間であり、
特段、建築についての勉学経験があるわけではないので、
建築教育というのがどういったものであるのか、
まったく想像力を持っていません。
むしろ建築の側から提案されるいろいろな想像力に対して、
ユーザー目線を最大の判断要素として
それを見つめるという立場であると思っています。
その場合、まずはいごこちのよさというものが一番のポイント。
ユーザーにとって住宅とは、人生を生きる拠点であり
その空間が心地よいモノであるかどうかは、
最大の問題意識だろうと思います。
それが「性能とデザイン」という主要角度から見つめるのですね。
一方、いわゆる「建築」の側は、
世の中からの「空間」に対する需要や可能性、未来形などを
予測し、その作り手の自由な想像力を発展させるのが
基本的スタンスなのだろうと思います。
発表会に引き続き行われた2016年度のコンペテーマのセミナーの
「お題」が、ライトウェイト、移動も可能な空間といった
それこそ建築の作り手にとっての成長を励ますようなテーマ。
いわば「建築」の可能性を発展させようとする立場だと思いました。
こういった視点はまだ建築途上で未完成だった
コンクリートの「骨だけ」の今年度の作品にも明瞭で
なんと、北海道大樹町で建設する「住居」でありながら、
外部側に壁をほとんど持たない住宅というコンセプト。
テーマ自体が「寒さを楽しむデザイン」みたいなことだそうで、
なんとリビングも風呂も,ベッドルームも
外部の自然とそのまま接しているというプランであります。
オスロ、ノルウェイの大学とはいえ、この学生チームは
「デザイン専門」の学生たちということだそうで、
建築物理の立場には一切顧慮していない。
建築の教育というものにはわたしは立ち入る立場ではないので、
こういった想像力の「自由」な展開にはただ立ち尽くすのみでした。
建築教育の専門的世界には、異邦人の感覚を強く持った次第。
しかし、住宅や建築という共有言語を介して
若い北欧の学生さんたちとブロークンで自由な話をできるのは
たいへん楽しい時間。
かれらにはきっと意味不明の質問にも笑顔一杯でした。
一生懸命に現場にも取り組んでいる姿には
微笑ましさを強く感じていました。
Posted on 12月 3rd, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話
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