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開拓期から高断熱高気密までの北海道住宅

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さて、先週末釧路に行って
北海道の明治初年における和風商家を取材してから
これまでほとんど歴史的に評価が向けられていなかった
開拓時期から、高断熱高気密住宅勃興期にいたる時期のその間、
具体的には、明治中期から昭和中期ころまでの期間の
北海道の戸建て住宅の流れ、歴史というものに
大きな興味が湧いてきております。
このブログで、ここ数日、そんな住宅取材を書き連ねていて
多くの学究のみなさんからのコメントも寄せられて気付きにつながりました。
これまで、北海道の住宅を考えるときには
高断熱高気密という地域住宅運動が、その核心であり、興味が集中していて、
それ以外の時期の住宅建築がアプリオリに及ぼしていた「影響」に
あまりにも顧慮することが少なかったのではないかと
そんな風な「気付き」が得られたのです。

もちろん、北海道地域でそれこそ地域に暮らすほぼすべてのひとびとが
強い関心を持ち、その進化に大きな期待とワクワク感を持った
「高断熱高気密」住宅の探求努力は、それこそ歴史的にも、また日本レベルでも
非常に大きな民族体験的な出来事であったことは紛れもない。
いまもその巨大なうねりの力はわたしたちの興味関心の中心にある。
そういう時代のなかから現地ルポ的に見えてくるもの、
それが中核的な興味であることは、なんら変わらないと思います。
しかし、その段階に至るまでの北海道地域での木造住宅について
どのような営為が繰り広げられていて
それを担った人たちの主観的な努力目標などが、
その次の高断熱高気密技術探求に対して
どのような影響力を持っていたのかは、もっと考えられて良い。
単純に言って、そうした高断熱住宅の挑戦者である建築者、
工務店組織のひとびと、設計者たちにとって、
その先達、自分たちを育成してくれた世代の人々が
どのような考えで、この地での住宅建築に取り組んできたのかは
やはり次の時代に引き継いでいくためにも、
必須な発掘作業なのではないかと思い至った次第です。

写真は札幌市内の円山公園に隣接したフレンチレストラン建築。
「バタ臭い」こういう表現が、しかし北海道では当たり前の光景だった。
そして次の写真はいまや北海道全域に自生的に見られる
ルピナス、昇り藤ですが、
この花は、明治初期に開拓のための農地への土壌改良のために
欧米から輸入され、移植された植物なのです。
こういった「輸入された考えや文化の価値感」というものが
わたしたち北海道人には、非常に近縁的な存在としてあると思う。
こういった輸入、移植は、開拓期からの北海道にとって必然だった。
そして、そうした時期からの日本人による本格的な北海道開拓、
本州以南地域からの親世代の生活文化を背負った自分たちが
ここで住み続けるための家づくりの方法と文化の解明、
さらには集住の都市の創出という歴史プロセスの中には
こうした輸入された住宅文化に対して、それを「見よう見まね」で
自分たちの木造技術体系に取り入れていきたいと考えた人々の思いも
非常に強くあっただろうと思うのです。
そういった先人たちの思いというものを、発掘していかねばならない。

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