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アイヌ文化取材-4 自在鉤

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アイヌの人たちの暮らし方が、
その前時代、檫文文化と決定的に違っているのが
調理と暖房に大きな囲炉裏を使用したと言うこと。
檫文文化の時代には、かまどが部屋の隅にしつらえられていた。
それは、煮炊きに使用したものが土器だったことによる。
それに対してアイヌ文化では、ヤマト社会との交易によって
「鉄鍋」が煮炊き用に使用されていたので、
暖房も考えれば、外気からの寒気を遮る意味でも囲炉裏を
部屋中央に配置するほうが合理的になったのですね。
そのために「自在鉤」が必要になってきた。
見せていただいた自在鉤には、
ごらんのように高さ調節ができるような工夫がされていました。
本州地域の自在鉤と違って、
より暖房の用途比率が高い北海道では、
火力を盛大にする必要があって、
そのために自在鉤の方で、鍋への供給火力を調整したと推測できます。
こういう調整機能付きの自在鉤ははじめて確認した次第。
さらに、囲炉裏上部には自在鉤のための棒が渡されていて
そこに曲げ加工した自在鉤が通されています。
大きな囲炉裏スペース内で鍋を移動させて、大人数での食事に利便性を考えたようです。
鉄器の鍋は、やはり土器に比べると
やはり伝導率も高くて、煮炊きに相当の利便性があったのでしょうね。
調理に革命的な変化をもたらせたものだったのだろうと推測できます。
しかし、鉄を作るというのは、
農耕民族の基本的な生産システムから生まれてくる知恵といえるのでしょうか。
砂鉄などから鉄分を採取して、それを高温火力で自在な形を造形し、
固い生産用具、具体的には土地を耕す道具にするのですね。
鉄が利用されることで、食料生産を社会的にコントロールすることができるような
「農耕型社会」が広がっていくということなのでしょう。
どんなに開墾が難しそうな土地でも、鉄器による開墾で容易になったのです。
そのような鉄は、日本列島社会では
狩猟採集を基本とする北海道地域の社会では生産されなかった。
まぁ、ヒエ・アワといった食料生産は行われていたのですが・・・。
アイヌの人たちの社会は、まさにヤマトの社会との交易によって
基本的に成立していた社会だったことが明瞭に見えてきます。
そして、北海道側からヤマト側への交易材料は、
鳥獣の皮革や、羽根類など、さまざまな狩猟採集の成果物だったのです。
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