社会が発展して、産業が活発になるということは、
さまざまな仕事ができてくるということでもある。
そうすると、人類社会ではあまり経験のない「人手不足」ということが起こる。
高度に発達した近代、現代の「先進国」では、
このような事態が一斉に起こったということができる。
戦前まで、「勤め人」という言い方で表現されていた大企業勤務者、
いわゆるホワイトカラーというような階層が異常に増えた。
そういった職種に就くには高等教育が必須とされ、
大学卒業が関門になって、受験競争が刺激された。
日本の社会が、そのように大量の人材を養うに足る大企業を
どんどん生み出していった。
現代で進行しているIT革命も、その流れの一変形ではあると思う。
で、そうなってくると「人手不足」は深刻化し、
「勤め人」ホワイトカラー層のビッグバンにともなって
高学歴になってきた女性も職場で活用されるようになる。
同時に男女の雇用格差もどんどんなくなってくる。
そういった社会になってくると、
子育てということは、必然と言うよりもある種の「選択」にすぎなくなってきて、
少子化が進行していく。
こういったことは、先進工業国で普遍的に起こってきた。
社会変化によって、人間のライフスタイルが大きく変化したということだろう。
で、ひとりひとりの個人の寿命も大きく伸びてきた。
生きる意味と言うことも、変化せざるを得ない。
これらのことは、人類社会において普遍的に起こっているとすると
こうした環境変化に対しての哲学の進化も要求されるけれど
ある時期の人類社会が一斉に宗教を生み出したほどの事態は
まだきていない。
しかし、ひとの生き方は大きく変化し、価値観も揺らいで来ているのは事実。
どっぷりとご先祖様の生きた世界を探訪してみて
つくづくと、ひとの生き方のありようの違いに気付かされる。
巨視的な視点も持って現代を見返すきっかけにもなる。
そういった意味合いも強いのが、歴史探訪だなと思う次第です。
<写真はまったく無関係です>
Posted on 1月 8th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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