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ひとの生きざま、家の存続

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さて、きのうから新年の仕事がスタート。
懸案もさっそく進展できたり、早々のアポイントも進んだり・・・。
ということで、現代に生きている生活が再起動です。

しかし、瀬戸内世界の旅、
主にご先祖さまの事跡を探訪するものだったのですが、
たいへん印象の深い旅が出来たとおもっています。
わが家は、江戸期から現代までさまざまな浮沈を経験し
祖先に繋がるいろいろなひとが、必死に生きてきたことが、伝わってきます。
そしてわが家系はいま、北海道に渡ってからでも109年になる。
つくづく、家はなかなか存続していかないものだと思います。
江戸期までは、個人をベースとした戸籍制度ではなく
「家長」を中心にした「法人」的な家意識のほうが一般的な考え方だったので、
家系調査の基本になるお寺の過去帳や墓石などに対しても
タテの系図意識ではなかなか理解出来ない部分がある。
天皇家でも、万世一系は謳っているけれど、
皇統を離れてから7世の子孫という継体天皇が
突然皇位についたりしている。
7世というと、わたしの家系で言っても、ようやく名前がわかる程度。
その信憑性については、にわかには肯定しにくい。
また、女系の家系継続性で皇位継承が行われたりもしている。
かならずしも、血の継続性では測ることが出来ない部分が多いのです。
ましてや、市井の何度も零落した家系のこと、
単純にはわかりにくいのだと思う。
そういったなかでも、事跡が比較的にしっかりわかるご先祖さまもいる。
その残された痕跡から、生きてあったときのことをおもんばかることはできる。
わが家は、見えている江戸期には商家としての活動が顕著。
そしてそういう家は、同時に庄屋などの農業経済主体とも
密接な関係を築いている。
江戸時代は藩という独立的な経済体制社会だったので、
一面では活発な地域経済活動が展開されていた。
農家は、より商業価値の高い綿花生産や養蚕などを手掛けたがり、
本来の年貢米に対して、そちらの比重がドンドン高くなっていた。
そこで、支配者側から繰り返し、禁令が発されたりしている。
支配政権は農本主義の建前を取っていたけれど、
賄賂などで「融通」を利かせて、バランスを取るなどしていた。
近代産業社会直前の経済活動が活発だったのだ。
そういった支配体制と実体経済社会の乖離が、
民衆の側にはきわめて「浮沈の激しい」
不条理な、生きがたき世を生み出していたのだと思う。
為政者と民衆の接点としての庄屋などに対する何度もの放火略奪騒ぎに
そういった社会矛盾の集中的表現を見る思いがします。
このように繋がれてきたいのちを
どのように未来に引き渡していくかたちを考えていくべきなのか
生きている人間のやるべきことは、本当に多いし、
また、持って瞑すべき先人たちの事跡を深く知っていかねばと思いました。

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