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長年の疑問氷解〜 「扇垂木」

先日、宮城県の加美のあたりを走っていたとき、
なにげなく通り過ぎた城下町のような街並み道路の突き当たりの寺院山門に
かなりビックリさせられて、引き換えして写真を取ってみました。
「龍川寺」という寺院なのですが、
その後、インターネットで調べてもあんまり資料にあたらない。
そもそも山門を持っている寺という存在自体、珍しいと思うのだけれど、
来歴などを知るすべがない。
で、この山門には立派な阿吽の仁王様まであって、
とても市井の寺の雰囲気ではないのであります。いや、気になる(笑)。
で、入力していろいろ調べてみたら、
ひょんなことから、わたしが長年(笑)わからなかった寄せ棟屋根の端部の
構造木組みの仕様が探求できたのです。
写真のような放射線状の「垂木」が屋根を支える構造についての疑問です。
まず、この構造の名前がわかった。
「扇垂木〜おおぎたるき」と言うのだそうであります。
あるHPの解説では
〜仏教建築が「入母屋造」、「寄棟造」を採用してくると、垂木は「放射状」
になる「扇垂木」にしました。長い垂木が屋根の奥深く棟まで入ってこそ、
天秤状態になり垂木は屋根を支える部材としての効果を発揮するのです。〜
ということだそうなのです。
この扇垂木に対して「平行垂木」という工法があって、
これは寄せ棟屋根頂部から端部にまっすぐに降ろす対角の材に太い材をあて、
その対角材に対して直角に木組みを施している形式です。
こちらの方が視覚的には施工が容易なように見られ、
時代が下がるにつれて、
こうした様式が多くなるのではないかと推測していました。
まぁおおむねはそういった理解でいいようなのですが、
どちらかというと、日本の大工技術ではナナメの材というのは
「みぐるしい」とされてきているので、
初期の、中国からの仏教導入期にはこの「扇垂木」を採用したけれど
時代が下がってくると、大工たちの感覚が優先されるようになったのではないか。

なんですが、
この宮城県の在の城下町に、こういった大工技術の痕跡を発見するのは意外。
HPを調べていたら、この寺院の施工をされた
宮大工さんの名前までわかったのですが、
どうも、宮大工さんたちの流儀として
こうした屋根端部のデザインが相伝されてきた気配がある。
むむむ、
扇垂木だけに奥が深そうなお話しでありますね(笑)。

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