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高2の息子、東京に触れさせる

わたしもきのう、仙台への出張を終えて札幌に帰還。
久しぶりに息子と話すことが出来ました。
息子も4日からおととい10日までほぼ1週間くらい
「東京」に触れ続けていた・・・。
ことしは年初から子どもたちと家族旅行で東京に行ってきたのですが、
それは、なるべく多感な時期に視野を広く持ってもらいたい
という親としての願いからのものでした。
日本人として生きていく上では、東京との間合いの取り方って
なかなか重要な要素部分ではないかと思っています。

わたしは、北海道空知で生まれおおむね札幌の街で育ち
そして東京の大学に行き、そのまま東京で就職して
いくたりかの社会経験を積み、ある程度の人間関係を構築して
それから8年間の東京暮らしの後、札幌に帰ってきて
という人生経路をたどってきました。
20世紀中庸から21世紀の時代のなかで、北海道という
日本の一地方、とも簡単にはいいきれない地方出身者として
日本の社会のなかで生きてきた。
そういうなかで、とくにビジネスや社会性の部分では、
常に東京との間合いを意識して生きてきた。
そういう認識の上で札幌で長く生きてきた人間であります。
で、これからの日本人、人間の生き方として、
やはり東京と、どのような間合いで生きていくかというのは
かなり決定的なのではないかと思い続けています。
娘や息子が成長していく過程で
「東京はひとの住むところじゃないよね」という言葉を発していまして、
そういうふうにわたしは子どもたちに伝えたつもりはなかったのに、
というような思いを常に感じ続けていた次第です。
なので、息子の高2という時期を選んで、
家族全員で東京に触れる旅をしてみた次第です。
それは父親として、どんなふうに東京と「付き合ってきたか」というような
そんなことの断面だけでも伝えたい、ということが動機でした。
地方の人間が東京にたまに行って、
地方での暮らしと同じようにクルマで走り回る、ということは、
首都高速をはじめとする交通事情の難しさがあって、
ある種の「バリア」が存在すると思いますが、
でも地方生活者にとってはクルマこそが本来的な移動手段であって
そのように行動してきている。
人間の常識的感覚もそのように馴致されている。
そういった常識的な感覚から、きちんと東京での生き方を考えるのも
必要な視点だと思います。
カーナビというたいへん便利な装置を活かせば、
このような視点も比較的容易に実現できる。
「皇居にクルマで乗りつける」というような感覚も
一度は味わってみる必要がある。そんな気がしています。

で、息子。
家族旅行で4日間と、折り返して高校の友人たちと3日間、
東京に浸るように過ごしていました。
きのう、家に帰っての会話。
「どうだった? 家族旅行の最後で、
東京への敗北感、みたいなことを言っていたけど?」
「それは変わっていないよ」
「・・・でも、俺、東京で就職したい、東京に行くからね」
っていうことでした。
話し方にも意外なまでの変化があって、
想像以上にかれのなかで吸収したものがあったのかも知れないな、と。

いろいろ、話していくことが楽しみになってきました(笑)。

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