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日本人と「思想」

司馬遼太郎さんの対談集を読み続けています。
そのなかで強烈に印象に残ったお話。
明治初年の「廃仏毀釈」の顛末であります。
日本人というのは、思想とか強固な宗教観とかは持てない国民性なのか。
徳川幕府の体制が終焉し、明治の新体制になって
不完全ではあったけれど革命が成就した。
西郷隆盛は、明確に時代が変わったということをひとびとに明示するために
なんとしても徳川慶喜の首を上げたかったけれど、
慶喜はなんとしても賊軍の汚名を感受すべきでないと思い、
巧妙に逃げ回った。
やむなく、新政府はその矛先を会津に向けて、徹底的な殲滅戦を行った。
それが明瞭な「革命」を、イメージとしても完遂させた。

そういう世相ではあったけれど
新たな国家体制として、天皇を絶対君主とする体制が生まれた。
そこで、仏教を排斥して神道に一本化しようとした。
いわば、文化大革命を推進した。
そのときに、奈良の古刹、日本仏教のひとつの大元締めともいえる
興福寺ですら、それまで拝み続けてきた木製の仏像を壊し、
あまつさえ、それを燃料にして
坊さんたちが風呂に入った、というようなことがあったそうです。
千年以上の伝統と格式を誇った強固な「思想」が
なんのこだわりもなく、きれいさっぱりと焚き付けにされてしまう。
そのことに、司馬さんは日本人の本質をまざまざと見たというのですね。

こういうことは、わたしたちの社会で本当に身近に見られる。
きのうまで営々と牢固なものとみなされていたことが、
簡単にひっくりかえされ、顧みられなくなる。
極端から極端へ、大して痛痒も感じずに転変していく。
日本では「思想」のようなものはそのようにしか扱われてこなかった。
考えてみればその通りで
日本国家創設にしてから、中国の「律令」を輸入したに過ぎず、
長く中国からさまざまな思想を輸入し続けてきた。
それが明治になって、中国から欧米に輸入元が代わっただけで、
基本的には思想はすべて輸入してきた歴史なのだ。
だから、こういうドラスティックな変化にも「柔軟」に対応する。

現代でいえば、マスコミの姿勢などを見ていると
このことはもっと明瞭に理解できる。
マスコミは戦前に置いてはヒステリックな戦争肯定が基本姿勢だった。
それが敗戦とともに、大して痛痒もなく、一夜にして
平和主義に大転換していった。
そういった社会が続いてきて
目先のことばかりに右往左往する国民性を拡大し続けている。
マスコミが主導するような論議が続く限り、
骨太な転換は期待できないのではないか。
この状況はどのように突破できるのか、なかなか先が見えない。

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