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建築探偵団・都市計画

青森県の住宅をあるひとと一緒に見て回っておりました。
その地域らしい特徴的な住宅を見て、
お互いに建築の専門的な知見を交換しながら、
鑑定団のように、いや、探偵団のように、
あちこち見て回った次第であります。

写真は、青森県弘前市の旧商店街の一角。
街は歴史的に意味があって作られ、そこにひとが住み継いでいく。
最初は城下町であったり、門前町であったり、
いろいろにするわけですが、
結局は「町家」という形式にたどりつく。
日本的な都市建築は、おおむねそういうことです。
しかし、現在一般的に「新興住宅地」と言われている考え方は、
欧米的価値観での「都市計画」に準拠していると思います。
都市を、その機能性で仕分けして、「住宅地」とか「商業地」とか、
そのように仕分けしていっている。
しかし、この写真のような、江戸期、あるいはそれ以前からの
「街割り」も混在していて、明瞭な計画性というのは
現代の都市にはなかなか感じられない。
また、そのような「計画性」というものも永続性があるとも思われない。
町家という形式は、
武家などの権力階級が都市庶民から住民税を収奪するときに
その外観性という一般的にわかりやすい認識項目に準拠することから始まった。
いわゆる「間口」ごとに税金の基準を定めたのですね。
ただ、民衆の側はそれに対して
ウナギの寝床のような住居形式で知恵を絞って対抗した。
そういうことの妥協の産物で出来上がった「都市計画」だった。
そういうものに対しては、現代のクルマ社会への対応だけを考えたような
敷地割りの「住宅地」もそれなりには意味があるのかも知れないけれど、
勢い、古くからの都市性とは相容れない部分があるので、
日本の多くの地方都市では、徒歩圏での都市機能の集約性があったのに、
それらがおおむね、クルマ移動中心の都市計画、商業施設中心の
そういった都市、人間行動を誘発して、中心部の過疎化が進行し、
幹線道路周辺部の都市化にチェンジされていっている。

いま、東北の沿岸地域では、
さまざまな「地域計画」が論議されているけれど、
なかなか地域住民の「コンセンサス」形成がむずかしい局面を迎えている。
先の「復興大臣」さんの発言って、
こういうコンセンサス形成を自治体側に委ねていることを
つい反発を招くような言い方になってしまったということだと思います。
結局、現代で、街はどうあるべきかなんて、
そういう根底的な論議を導き出せるような共有認識など存在しないのではないか。
そのような絶望感が、ひしひしと迫ってくる気がします。
で、こういうテーマについて、いま、生活自体の根底が揺らいでいる
ひとたちが、考えなければならないことになっている。
確かにそれは、「地方自治」ではあるでしょうが、かなり難しいことを丸投げしている。
この点について、みなさんいかが考えられるでしょうか?
あんまり論議が出てきませんが、大きな疑問を感じております。

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