茶室というと、もうすこし軽快な建物が多いのではないかと思いますが
この麟閣(りんかく)というのは、草庵風ということで、
屋根が茅葺きになっていたり、茶室本体に隣接して
広間があったりして、大きめの建物です。
入母屋の本体建物に突き刺すようにこちらも入母屋の茶室が付いている形です。
って、ようするに全景が写真では撮りにくいんですよ。(汗)
まわりの露地、庭木が密生していて、まぁそれが建物本体との
ハーモニーで非常に重要な建築要素なので、
いわゆる外観的に建物だけをクローズアップするようには見えないのですね。
たぶん、待合いという小屋からは、敷石が連なっていますので、
写真右側のようなにじり口から茶室本体に入る仕掛けになっているのでしょう。
広間の側は、茶が終わって寛ぐための、あるいは茶を用意するための
そういう用途のスペースだったのでしょうね。
茶室内部は、写真撮影できなくなっているのですが
本を見ると三畳台目手前座というスタイルとのこと。
茶の様式とか、あまり興味はありませんが、
この建物は、京都・藪内家に残る古田織部の茶室燕庵とよく似ているのだそうです。
この建物を造ったのは、千家の利休の長子・少庵というひとで
会津から、許されて京に戻り千家を再興していったのですね。
茶道にとっては、たいへんゆかりの深い建築と言うことになります。
建築と、その設計者の名前が残っていくというのは
近代個人主義の成立以降になることだと思いますが
例外的に、こうした芸術建築では個人名がしるされています。
こんにちでは、著作権というものがたいへん重んじられる社会になって
ちょっと行き過ぎじゃないか、と思われるきらいもありますね。
正直、茶はまったく理解していないのですが、
切り取られ、管理された植栽による演出効果と、体技など様式化を強制しながら
喫茶の時空間を芸術にした、という面白いものだとは思います。
西洋では、マナーというようなものは広がったけれど、
こんな、ひとつの儀式化・様式化までにはならなかった。
そういう意味では、きわめて日本的なものなのでしょうが、
茶器などは、広範囲な交易の産物としてのものを珍重しているのだとか、
やはり奥行きを感じさせる文化といえますね。
さて、本日からパリーグ、日ハムは最終の対ソフトバンク2連戦です。
まだ、プレーオフはありますが、
波瀾万丈の展開が続いてきたここのところ。
しっかり、一致団結して戦っていけるのか、心配ではありますが・・・
がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!
Posted on 9月 26th, 2006 by replanmin
Filed under: 歴史探訪
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