わたしは古民家が大好きであります。
その地方地方で、訪問すると必ず伝統的な住宅のありようを見学する。
博物館などでその地方の概要をアタマに入れて、
一方でこうした古民家を見ることで、立体的な地域の把握ができると思うのです。
あとは、その地方の代表的で伝統的な料理を食べ、地酒を飲む(笑)。
なんとなく、そんなふうに地方性を摂取していく習慣になっている。
今回、それほどは予備知識なく鹿児島県を訪問したのですが、
そういった古民家群として旧薩摩藩の「外城」群中の「入来」と「出水」を見学。
薩摩島津家は、鹿児島市内に「城山」という聖地を持っていましたが、
ほかの藩のようにそこに城を構えることはしなかったとされる。
歴史的にはあったようだけれど、近世大名のように権力を誇示するかのような
威嚇的な城郭建築に興味を持たなかった。
鎌倉幕府初期から、守護地頭であったという自信からのことなのか。
ちょっと不思議な光景だと思っています。
しかし、ほかの近世大名とは違って、多数の「外城」をもっていて、
領国支配のいわば役所機能も持たせつつ、軍事防衛拠点ともしてきた。
そういう外城のいくつかが往時を偲ばせるように保存されている。
薩摩藩独特の「外城」軍事集落という感じですね。
鹿児島から徐々に八代海にむけて北上しつつ、この2つの武家住宅群を見学。
で、この「入来麓」です。入来というのが地名で麓というのは、薩摩藩の独特の言い方。
いざという時にはやや高台になっている外城に集結するけれど、
普段は、その麓で半農的な暮らしをするという意味合いだとか。
写真の増田家住宅は、古格を残した代表的な武家住宅。
いろいろ面白いポイントがあったのですが、
なかでも最大ポイントが見たこともない連棟スタイルを繋ぐ「雨樋」部分。
向かって右側が「おもて」といわれるハレの空間で左側が「なかえ」という常居空間。
そのふたつが、沖縄の家に見られるように南島的な分棟形式ながら
それらが繋げられ、その屋根の「谷」の部分にモウソウ竹を半割しての雨樋。
それがまぁ実に豪快な組み上げ方になっている。
この雨樋が雨水を処理する様子は、大きな技術的見せ場でしょうね。
まぁ写真の通りですが、こうした「伝統建築技術」は万全には再現できなくなっていて、
カタチはなんとか再現したけれど、雨仕舞いがなんとも問題発生して
結局は上面を板金で被覆させている様子がわかります。
こちらが室内の様子。
この渡り廊下のような部分上部にモウソウ竹の組み上げ雨樋がある。
それを荒縄だけで柱・梁に「縛り上げている」状態です。
この「縛り方」が大きなポイントなのでしょうが、その技術が消失している。
本来は水勾配は左右均等に流れさせられていた、とされるのですが、
現代の木造職人さんたちには、そういう復元はできなかったのです。
たぶん、真ん中あたりの縛り方が強く引き絞られていて
他の部分よりも高くなっていたのではないかと推測されますが、再現できない。
ひょっとすると、縄の縛り方にも相当独自の仕掛けがあったのではないか。
現代の復元では雨水が滞留し雨漏りが発生して、床面が腐食してきた。
結局は水勾配を片側だけに流すようにして、その上、上部を板金被覆した。
こういった繊細なディテールでの技術伝承の難しさを深く知らされました。
関係のみなさんの労を多としますが、
先日触れた熊本城修復での「石工」技術の継承問題など、
経済性と伝統的技術存続の両立の困難が、浮き彫りになっていると思いました。
<お盆休暇になるので、気が変わらなければあすからも古民家シリーズの予定。>
Posted on 8月 10th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 古民家シリーズ
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