写真は、今回の東京出張でのある会議のあった「曙橋」周辺の景観。
向かい側には防衛省施設もある立地ですが、
歩いていて、その形状の想定外ぶりに深く驚かされた建物。
2枚目の写真はこの建物の2階の窓をクローズアップしたもの。
窓が規格的な1間間口約1.8mで開けられている。
そのほかの「壁」部分の総和は、見たところ、窓の左右幅とほぼ相応している。
ということは、この建物の「間口」は2間と推定できる。
で、建物は細長く、道路側に長大な壁面を見せているのですが、
そこにはいくつかの窓が開口されていました。
このフラットな道路側にはエントランスを思わせる「入り口」はなく、
どうやら奥の方からこの細長い建物には入っていくように思われた。
たぶん、間口が2間3.6mで奥行きが10間くらいある、細長い間取りのよう。
こんな建物に思わず視線が向かったのは、
ちょうど竹橋の東京近代美術館で開催中の展覧会、
「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展で、
いわゆるアバンギャルド風住宅建築をみる機会があったのと、
ちょうど新住協札幌支部が中心になって、2.5間間口のプロトタイプも
検討しているというような流れがあった。
そのイマジネーションとして、このマンションが象徴的に視界に飛び込んできた次第。
新住協プロトタイプ研究でも、いわば与条件としての「敷地」の検討があるのですが、
日本の住宅を考えるときに、この条件はきわめて大きい。
敷地条件で間口何間で、奥行き何間ということの想定を決める必要があるけれど、
ハナから東京などの密集地域は除外せざるを得ない現実がある。
で、これが「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」の展示会パンフ。
こういった日本の特殊な住宅建築を芸術鑑賞の美術館で展示するという
世界巡回展の「里帰り」展覧会だと言うことでした。
で、はじめの方ではいわゆる戦後「プロトタイプ」住宅への興味も展開されていましたが、
以降は、ひたすら「芸術」視点での住宅「作品」集的な展示構成。
「欧米の多くの国では建築家の仕事の中心は公共建築なのですが日本の場合は、
一人の建築家が、公共建築も個人住宅も手がけることが相当数あります。
建築界で最も栄誉ある賞といわれるプリツカー賞の日本人受賞者が多数の
住宅建築を手がけているというのは、実は結構驚くべきポイント」
という解題でしたが、日本の場合、この写真のような住宅敷地の混乱ぶりが
こういった特殊解の爛熟を支えてきた「与条件」だったと、
まざまざと思い知らされるような気がしておりました。
面白いというか、なんと言えばいいか。
Posted on 7月 30th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.