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【住まいと人のシアワセの関係】

きのう早朝、ついに「サピエンス全史」を読了して、
西田正規先生の「人類史の中の定住革命」読了以来の、人類史思考を
再認識し、自分の性向の中に再確認しております。
今回の読後感では、人間の「意識」についての歴史的考察が
たいへん「科学的」に追究されていて、納得できた次第。
そのなかでも、物質的には相当に「豊かさ」に満ちている現生人類にとって、
生きるシアワセということにまで、歴史家として論及している驚き。
著者・ユヴァル・ノア・ハラリさんは、イスラエル人ですが、
世界宗教も研究されて、とくに仏教について深く思索されている。
キリスト教やイスラム教のような一神教とは言えない仏教での
「解脱」という志向について、それが個人としての人類のシアワセに至る興味深い
アプローチではないかと、論を進めている。
基本的には仏教徒である日本人として、強く惹かれた部分。

で、わたしは住宅のことについて生業としてきた人間なので、
いろいろな住宅を巡っての空間、ビジュアルを見てきた。
そういうなかでやはり「花鳥風月」感覚にこういった論点は近いように思われました。
仏教は座禅だとかの瞑想手順を重視していると思うのですが、
そういった世界観の中では、日本的には花鳥風月を味わう心理と近似している。
写真上は、近代和風スタイルの吉田五十八の「猪俣邸」。
東京世田谷の建物で一般公開されている数寄屋。
こういった空間造形の感覚は、日本人的な「花鳥風月」への傾きを
顕著に表しているのだろうと思います。
仏教的な思索態度、瞑想とかに没入した上で見渡す世界を
建築的にあれこれと構築していった世界なのではないかと思うのです。
利休さんの茶室建築など、そういう視点でしかありえないだろうと。
主体側をなるべく静的なものに抑え込んで
かすかにゆれ動く客体・自然のうつろいのなかに精神性を投影させるような
そういった建築的装置群なのではないかと。
現代ではもっといろいろな感受の仕方がありえるのではないかとも思います。
花鳥風月ということは、実にいろいろに感受可能なのではないか。
そんな目的から、建築の装置利用をあれこれ考えること、
そういった志向性もありなのではないかと愚考したりさせられます。
ひとのシアワセは住宅建築とどの程度関わるのか、よくはわかりませんが、
やはり現代人はその進化の過程の現在において
暮らしの中で、家で過ごす時間はかなりのウェートを占める。
こんなテーマも、家づくりとまったく無関係ではないだろうと思う次第です。

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