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【障子による空間表現の自由闊達さ】

本日から東京、さいたま、長野と出張であります。
わたしは東北フォーラム会員ですが、今回は他団体との「合同研修会」参加。
その前に東京や埼玉での情報交換など。
なんですが、いろいろ古建築なども見学するようなので、
その様子もご報告致します。
っていう具合に、ちょこちょこと取材で本州地域に出掛けるのですが、
住宅のデザインでもっとも北海道が他地域と変化してきたのは、
障子という建具文化がほぼ衰退したことではないかと、
そんなふうにわたしは思っています。

北海道・札幌は東北仙台と比べても年平均気温が4度違い、約8度。
東京から福岡までの平均、約16度と比べたら8度違う。
そういった寒冷条件では、建具による空間の「間仕切り」では、
外部に対しては華奢すぎて、温熱環境的に破綻する。
したがって初期北海道では障子は「外部建具」としては機能し得ず、
もっぱらカーテンの代用的な存在になっていた。
はじめのうちはガラス窓の性能進化が進まなかったので、
それなりの代用的存在意義があったけれど、樹脂サッシや木製サッシなど
外部建具の高性能化にともなって「無用の長物」化してしまった。
空間デザイン要素だけの存在になってしまって、
それ以上に室内の温熱性能向上が進むとほぼ必要性がなくなった。
いまの北海道の新築住宅では畳の部屋の窓のカーテン代わりに
1枚か2枚程度あればいい方、ほとんどでは畳部屋すらも消滅して
いきおい障子はまったく採用されなくなってきた。

で、失われてみるとその美観への「郷愁」もまた強くなる(笑)。
関東以南地域などでの「和風」住宅を見る機会があると、
その構成する「空間美」への思いがたぎってくるものがあるのです。
写真は、きのうのブログでも公開した
東京世田谷の吉田五十八「猪俣邸」の茶亭的な離れの様子です。
まるで、障子が空を流れていく雲のごとき表現をまとっていて
用と空間表現の両方でその魅力が引き出されている。
さらに室内光の導入の仕方もいろいろなグラデーションを見せてくれて
全閉鎖から全開放までその変化で日本人に感受性を植え込んできたのでしょう。
しかも格子組が「規則性・連続性」表現で、日本的で独特な感性も涵養した。
日本建築の空間デザインに繊細だった建築家たちにとって、
この空間のように障子はいわばメインプレーヤー。
ウチとソトを仕分ける、つなぐ、絶妙な装置だと言えると思います。
わたし自身は北海道的な住宅革新の側にいる人間だと思いますが、
一方で、このような空間美にも強く惹かれる。
まったく好奇心には節操というものがないと、頓悟させられますね(笑)。

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