きのうのブログでは、衣服の初源について
それがおよそ7万年以前の全地球規模での火山噴火によって
引き起こされた「寒冷化」が引き金になったという説を
紹介しましたが、わたしは住宅のことがほぼ生涯の仕事になったので、
では、住宅の初源はなんだろうと考えざるを得ません。
以前も紹介しましたが、筑波大学の西田正規先生の
「人類史のなかの定住革命」をずっと読み続けています。
どうもわたしは、昔から気に入った本は、繰り返し繰り返し何度も、
それこそ味読に近く読み深めるのが好きでして、
この本は電子書籍として購入したこともあって、iPhoneにも入れて
いつでもどこでも、繰り返し、読み進めています。
現生人類は4万年とも5万年ともいわれる進化・歴史を持っているが、
定住という生き方を選択してからは、まだ1万数千年、
世代で言えば、400-500世代くらいしか経っていない、
という先生の指摘は、繰り返し考えさせられる。
人類は定住することで、その環境も大きく変化させていったとされる。
まずは、定住することでエネルギー問題を抱えることになった。
火の使用はもちろん、現生人類だけではなかっただろうけれど、
定住を行った現生人類は、その生活圏内でのバイオマス資源、
薪にする木材の確保が大問題になったはずなのですね。
その人口規模に似合った燃料エネルギーが常時確保されなければ、
そもそも定住は成立し得ない。
その必要資源量と、人口とは当然ながらバランスしていたに違いない。
初期の自然林をそのように伐採したあと、2次林が生成したけれど、
その樹木種はクリなどの食用に適した樹木が選択され、
さらに初期林伐採によって生じた日当たりのいい平面では
徐々に目的的有用植物「栽培」が行われたに違いないとされる。
そういった初源的な人類集落において、住宅はどのように構想され
建築されていったのだろうかと想像力が大いに刺激される。
定住には住宅建築が自ずと随伴したことは間違いない。
で、このプロセスでは世界史的に見てもきわめて独特な
日本列島での「縄文社会」がその大きな舞台として浮かび上がってくる。
縄文が成立した列島社会の人間居住環境は、相当に魅力的だった。
まずは海浜などでの水生動物、魚類の容易で豊富な捕獲と、
ナッツ類を中心にした照葉樹林からの有用植物が食料を提供した。
多雨の気候条件は豊かな照葉樹林帯をもたらし、
再生産性に優れたバイオマス・生存環境を保障したに違いない。
まさに人類的事件である定住と、縄文エコシステムの成立はほぼ同時。
エネルギー問題のなかでも三内丸山のような大集落も成立していた。
人類史が、いきなり日本列島社会史と重複してくる。
やはり竪穴住居は、人類にとって普遍的な住宅のありようだったと。
どうしたらこの初源の住宅・環境のイメージをもっと膨らませられるか。
温故知新、巨視的に未来の住宅を見通すヒントにもなるのではと、
こうした想念が繰り返されてなりません。
本日は先日左側を施術した、白内障の右目側手術。
もっとクリアにいろいろなものごとが見えるようになりたいです(笑)。
Posted on 1月 30th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.