先日書いた、日本の住宅投資500兆円減失問題。
図は昨年春、国交省が発表した公式資料です。
なんとなく、なぜなんだろうと思っていたことが、公的にも
明示的にアナウンスされたということで、驚愕していました。
そしてこの発表から1年以上経過しているけれど、
このことから論議されるべきテーマは、残念ながら世論醸成されていない。
わたしとしては、このことは本質的に論議されるべき
社会構造上の日本の欠陥ではと思い続けている次第です。
一方で、ちょうどそのころ大騒ぎしていたのが、安保法制問題。
あのかまびすしさに、すっかりこのテーマは覆い隠されてしまっていた。
まことに「日本の言論」の空洞感に絶望していた。
それよりも「経済民主主義」の確立こそが日本の現状では不可欠。
昨年の安保法制論議には、60-70年の安保騒動と重なる部分がある。
あの歴史経緯で結局日本社会は、西側陣営の一員として
国のかたちを選択し、生き延びる結論を下したのだと思う。
しかし現代日本は、60-70年時期の状況とはまた明らかに違う。
あの時代には「持たざるもの」という概念には実感があったけれど、
すでにいま多くの国民は、戦後の経済成長の中で「資産」を獲得してきている。
そういう現実に踏まえて、上の図のような状況に鑑みれば、
住宅資産をどう保全し、将来を確かなものとして
社会を保守すべきかということが緊喫の課題。
そういう意味ではむしろ若い世代の方が危機認識を持っている。
若年層の保守化とは、「日本を壊さないでほしい」という叫びだと思えます。
いまかれら若年層は、親の世代の資産が実は資産でない不安を持っている。
いまの日本人にかなり広範に存在する大きなテーマを放棄して、
いわば経済を無視して、反権力の姿勢に固執だけすることは
多くの日本人、とくに若い世代にとって無責任そのものの態度なのだと。
そういう姿勢の無惨さを鋭く洞察した首都のひとびとは、
都知事選でダブルスコア以上の「判定」を明確に下した。
ぜひ、野党にはそういう非生産的な主張から一歩出て、与党をも覚醒させて
現実の国民が置かれた「資産」半減状況への防衛策を提起して欲しい。
アメリカばかりではなく、世界全体で
住宅投資が半減以下になる国は例がないとされる。
なぜこうなっているのか? 国の将来への悲観論の根底に
こういう不合理が大きく横たわっていると思う。
なによりも「経済民主主義」に基づいて
国民資産を守るための政策論議を大いに戦わせて欲しい。
民主主義で野党が果たす役割は未来を開くというものだと思う。
大きなテーマを提示して社会を発展させていく役割が、きわめて大きい。
Posted on 8月 7th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 状況・政治への発言
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.