本文へジャンプ

「相場崩し」をしない家づくりは可能か?

2568

きのう書いたブログにもいろいろなご意見が寄せられました。
そのなかで小林英嗣(日本都市計画家協会会長)様からもコメントが。
「相場崩しをしない、日本人からそれが失われていって久しい。」
という含蓄のある言葉でした。
不勉強で、こういう言葉を知りませんでした。
日本の建築の伝統の中にあった言葉だそうで、
既存の街並みに対して、そこに新たな建築を創り出すとき
作り手がこころすべき自律的な態度を表す言葉だそうです。
そこにすでに存在する価値感、いわゆる「相場」をよく理解して
その街並みの空気感を「崩さない」ように、建築を創るべきだと諭している。
考え方によっては、守旧的で退嬰的ととられかねない考えだけれど
街並みが整っていくということは、
自ずとこういう考え方が基本になるのではないか。

ただ、いまの日本の作られている街並みには、
相場自体が形成されていないかも知れない。
防火という観点から「不燃建材」という「基準」が作られ、
事実上、化学製品外壁が推奨されるような「相場」が作られている。
いま、日本の住宅の大部分の外壁にはそうした建材が使われている。
そしてメーカーは自由にカラーリングした商品を販売し、
そうした建材をアセンブルして住宅として生産する事業者も
費用対効果の最善策として、こうした選択をする。
そこに「差別化」の意識が働いて、他社とは違いを出そうとする。
結果、建てられる住宅は「目立つように」作られる。
価格原理で選択され、
カラーリングで「個性」を演出した住宅群が出来上がる。
現状は、それが「相場」にすらなっている。
どうも、基準自体が「相場崩し」を行ったに等しいのかも知れない。
しかしそうして構成される「街並み」に美感意識は育つのか。

一方でとくに北海道のように、隣家もまばらな環境の中で
「相場の起点として作る」のだ、という意識も
やはりあり得るのではないか。
また既存の家並みにまったく魅力が無い街にあらたに作ることも多い。
そういった時点での作り手や住宅発注者が心すべき規範とはなにか。
ひとつの手掛かりとしては
たぶん、そういう風に考えて作られた建物は
新しいけれど、なぜか懐かしい、という心象をもたらすのではないか。
そしてそのように出来上がるためには
やはり作り手の伝統的建築へのリスペクトが欠かせないのではないか。
そうだとすれば、やはりいい街を繰り返し見続けること、
その記憶残像の総量を体験記憶レベルまで落とし込むまで
カラダに染み込ませるということなのだろうか。

まだまだ、考えの端緒に就いたばかりだけれど、
脱出口を、みんなが目的的に探求するべきテーマですね。

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.