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北海道の「中世都市」上ノ国遺跡

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前から再訪したかった、北海道南部の上ノ国。
5〜6年前に大きく発表された北海道中世の遺跡であります。
このブログの読者の方はご存知と思いますが、
わたしは北海道で生まれ育ったので、この地の来し方について
並々ならぬ知的探究心を押さえがたく持っております。
北海道は、新石器から縄文時代、檫文時代、アイヌ期などと
ネイティブの人々のその変遷をたどることができるのですが、
同時に、本州地域に淵源を持つひとびとの痕跡も
だんだんとその素描、輪廓が明らかになってきている。
古代に於いては、阿倍比羅夫のヤマト勢力による北海道への干渉などの
記録も残されているけれど、
そうした文字記録を証し立てる現物としての遺跡などに乏しい。
そういうなかで、道南の上ノ国では、
「勝山館遺跡」という物証が発掘されたのです。
この遺跡は、遠く奥州藤原氏に遠祖を持つと言われ日本将軍を号した
「安東氏」が築いたとされる最北の拠点施設群。
本州北部北東北地域で、八戸周辺の武権との争いに敗北して
それまでの交易拠点・津軽半島西部の十三湊を失った安東氏が
それに替わる交易拠点として確保したとされている。
北方、アイヌ民族その他との交易活動を経済的基盤とした
日本側の武装権力集団の都市的遺跡であります。
遺跡発掘作業の結果、住居跡から推定する総戸数は150戸を超える。
総人口は推定で400〜500人くらいの
「都市」と言って過言ではない集落が形成されていた。
この都市内では、鉄製品の修繕のための原材料なども確認でき、
また、鉄砲の弾薬なども発掘されたという。
交易利権を収入源とした武力勢力と、その兵站施設、集団というように見られる。
内部には和人とアイヌの両方の墳墓が見られるということで、
武装組織としては、両者が連合体を形成していたことが想像される。
安東氏側が、アイヌ勢力を取り込む形だったのか、
想像力を刺激される社会構成であります。
位置としては段丘状の高台で、海岸線を見下ろす場所にあり、
南からの交易船を見晴らすと言うよりも、
むしろ北方、北東アジアからの交易船を重点的にチェックしていると見て取れる。
たぶん、日本社会側からの北方交易への期待品、
希少資源としてのタカの羽根などが、高級武士の装備として
貴重な物資として交易の対象になっていたのだと思います。

北海道内での、数少ない日本史に直接連なる遺跡。
もっと知られていい存在なのですが、
観光の中心である札幌や函館などの地区から遠く、
なかなかスポットが当たることがありません。
きのうはカミさんと早朝から札幌から350kmくらいのドライブでした。
ルートは、札幌西インターから小樽方面へ高速利用。
「朝里」インターで下りて、毛無峠経由で倶知安方面へ。
国道5号線に合流して、黒松内から高速に再度アクセスして
八雲で下りて、今度は雲石峠を通って西部海岸線へ出て
そこから南下、というルートであります。早朝だと、渋滞もないのでスムーズ。
途中、近郊の江差ですっかりくつろいで散策してしまったのですが、
風光明媚な北海道南西部の海岸線にいやされます。
テーマパーク的にはいろいろなショーアップも可能な歴史スポット。
もうちょっと、注目が集まってもいいなぁと
普段から思っている遺跡探訪でした。

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