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信長好きな日本人

2057

わたしも大好きであります、信長さん。
日本って、聖徳太子の「17条憲法」以来、
「和をもって貴しと為す」社会であって、
あんまり「英雄」を生み出さない風土のような気がするのですが
そういう歴史風土の中で、一陣の爽風を送り込み、
これからその「負の側面」が全面的に出てくるに違いないと思われた
その瞬間に地上から、みごとに消え去ってしまった、
中世を徹底的に破壊するその段階までの役割を果たして
「是非もなし」という端的なことばを遺して
まことにあっという間に、本能寺の炎とともに消え去った。
その散り際の鮮やかさでも、日本人の心象に大きく刻印されているのでしょう。
で、かれを偲ぶモニュメントはほとんど残っていない。
秀吉が、家康が、これでもかとばかりにいろいろなモニュメントを遺しているのに
まったく対照的に、信長を偲ぶよすがはほとんどない。
そんななかで、伝説の「安土城」が発掘調査され、
徐々にその全貌が明らかになってきた、というニュースに
折に触れて接する度、ぜひにも見に行きたい、と思い続けていた。
しかし、なぜか、機会はほとんど訪れることはなかったのであります。
この1月にそんな念願がようやくにして叶いました。
写真が再現しつつある安土城址であります。

2056

琵琶湖湖南、安土山の山頂に築かれた天守に向かって
この石段を登っていったのだと言われています。
途中に、伝秀吉邸などの家臣団屋敷も展開していたそうです。
琵琶湖湖南の地は、東海道・東山道・北国街道などが合流して
京都に向かう、その道を扼するように建てられている。
かれの時代には、琵琶湖自体にも接岸していたのではないかと推定される。
陸上交通・水上交通でのまさに要衝の地。
かれの段階の「統一国家」にとって、象徴的な位置だったのだと思います。

まぁ、英雄を想起させるようななにも残ってはいないけれど、
なにごとかの途上に倒れたかれらしさの、ほんのいくばくか、
空気を感じさせていただいただけでも、
歴史好き、信長好きのある部分を満足させられた気が致しました。

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