本日は歴史ネタでの妄想であります(笑)。
仕事のことであれこれと煮詰まっている時って、
すっ飛ばして、妄想するとスッキリする部分があります(笑)。
先日、近江国、関ヶ原周辺、伊吹山周辺を走り回っていて
どうしても、表題のような着想から逃れられなくなったのです。
まず、日本歴史できわめて重要な変化である「壬申の乱」。
のちの秀吉による朝鮮出兵「壬辰の乱」と混乱しやすいけれど、
古代における関ヶ原合戦ともいえる政変戦争です。
この伊吹山・関ヶ原周辺も主要な戦場になった
この政変で、天武帝が勝利して天智帝からの王統交代が行われたこと。
そして、その軍事的勝利が伊勢神宮を出発点にして成功したことで
現皇室の伊勢信仰のスタートと見なしうること。
この壬申の乱の結果、「日本」国号と「天皇」名称が定まって
新たな古代律令制・中央集権国家の国造りが始まったこと。
その後、国歌として「君が代」が定まり、
そのなかに「さざれ石」が、象徴的に詠み込まれたこと。
その「さざれ石」は、伊吹山で主要に産出されることで知られること。
さざれ石とは、小石がたくさん集積して火山性の凝結作用で
巌のようになって「成長」していく岩石であって、いまに至るも多くの神社に
その印象的な位置に鎮座していること。
そしてこのさざれ石の様相は、古代の日本列島での「クニ」同士の
連合的ありようをアナロジーしていると考えられること。
国譲り前の、出雲での連合的国家形態を想起させる象徴性を
この「さざれ石」は容易にイメージできる。
八百万の神々が、出雲に集って会議していたという故事を想起させる。
というような、その土地に行って見ての着想が強く起こってきたのです。
現代、この近江の地域をクルマで走っていて、
高速道路上からも、伊吹山はきわめてランドマーク的に明瞭に見え、
そのふもとの東海道と東山道の合流地点に関ヶ原があって、
やはりこの列島社会では、この地域は大会戦が起こるとすれば、
まことにふさわしい地の理があると認識できます。
壬申の乱でもここで天武が勝利して
ここから「日本国」が生まれていった証として、
この山が主要産地である小石の集積岩石・さざれ石を
国家統合の象徴にしたのではないか、大いに蓋然性があったと思われる。
まだ整理のつかない直感ですが、きっと多くの方も同様に思うに違いない。
どうも確からしく思われるのであります。
どうだろう、おかしいかなぁ・・・・。
Posted on 2月 4th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
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