石川県の高断熱高気密住宅の取材を終えて
いろいろに気付くことが多かったことに驚いています。
とくにユーザーを含めて、高断熱住宅への心理的反応の分析が
だんだんと熟成していくようで、自分でもたいへん興味深い。
このブログの数日前に、「温暖地・高断熱住宅へのねたみ」と書いたら
驚くほど多数の方にお読みいただき「いいね」もいただきました。
わたしのように、北海道のユーザーと日常的に接している人間の目線での
温暖地域ユーザー・作り手の心理把握が
ある意味で、情報となり得るのだという気付きがあった次第です。
で、これまでなんとなく考えていたり感じたりしていたことで
タイトルのような思考の方向性に至った次第。
宋文洲さんという方の書かれたものに接したときに
彼我の考え方の違いのツボを知覚した経験があります。
それはなにかというと、
かれは、自分が経験し獲得した知見は、
そのすべてを、まったくの自分自身のためだけに活かして
それをお金の量に変えていくのが、当然だという考えであります。
これは経営者としては、まったくその方が正しい態度であることは
疑いがない公理なのですが、
そこでハタと気付いたのが、
「でも住宅の環境性能については、少なくとも北海道では、違う」
ということだったのです。
そうなのですね、北海道では開拓のごく初期段階から
「どうやったら、この過酷な自然環境に中で、多くの人が暮らしていけるか」
ということを、地域全体の問題として捉えて、
みんなでその解決策を必死になって模索し、格闘してきた。
第一、一地方公共団体に過ぎない北海道が、
寒冷地住宅について系統的に研究開発努力を積み重ねてきていた。
前身の北海道開拓使の時代から、よき北方住宅について、
調査し,研究してきていた。
ときどきブログでふれる司馬遼太郎さんの記述では、
よき北方型住宅の普及を願って官の側から、
当時数多く建てられていた「出稼ぎ意識」の明瞭な仮住まい小屋を
極端な場合こわしたりして、建築規制してきた経緯もあったそうです。
そのような流れの中で、ある知見が生み出されれば、
それへのリスペクトは持ちながらも、その内容は,あっという間に
共有建築技術資産になっていったのが、現実的な流れだったと思うのです。
北海道の研究機関である北総研の研究成果や、
また、新住協の工法の「オープンな提供」というようなことは、
官学民の一体となった「暖かい家」への共通目標意識がなせることだった。
北海道では、利他的な行為についての感謝を伝えると
「なんもさ」という言葉が返ってくるのが一般的文化。
寒冷地住宅技術についての北の考え方には、
この核心点があると思います。
で、一方、温暖地では、この部分についての共通認識がないか、
もしくは希薄なのではないかと思われるのです。
得られた知見についての利益は、その知的所有権の所有者にという
個人主義・個人尊重の考えが基本にあるのは間違いがない。
多くの場合、高断熱住宅の知見は設備機器メーカーなどの
主導で、フランチャイズ形式で技術提供されるケースが多かった事情を
このことは、反映しているのかも知れません。
さらにもっといえば、
高断熱高気密住宅によって得られる生活上の快適性すらも、
ユーザー段階で、その建てた個人に帰結すべき「利益」であるという
このような考え方があるのではないかと思われてならないのです。
「ねたみ」と書いた人間心理の奥底には、
こういった構造的要因が存在しているのではないでしょうか?
みなさんいかが、お考えでしょうか?
Posted on 1月 28th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話
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