きのう「空き家問題」を書いたら、建築家の藤島喬さんから
「空き家も問題ですが、建築学会で出してる雑誌では、おひとりさん特集。
まだ全部読んでないのですが、1人で住まわれているのが、(日本は)世界1。
即ち、1dkが多い。若者は結婚しない、年寄りは孤独。
でも妙にバランスが、とれてるらしい。そうかなー?」
という書き込み。
若者はどうして結婚に積極的にならないのか、
現代になって家族というものが、なぜ、かくも拡散に向かったのか、
それこそ人類進化の一局面として、もっと根源的に探求しなければならない。
いつも考えている、そのことを端的に想起させられました。
たぶんこれは、人類が近代国家システムと個人主義と資本主義を選択してから
発展もしたけれど、衰退にも向かうかも知れない、
ということを表しているのではないか。
歴史を概観しているとすぐに気付くことだけれど、
そしてまぁ当たり前のことなんだけれど、
人間というのは、けっしてひとりでは生きていくことはできなかった。
西欧で発展した基本的人権と自由平等精神と資本主義的社会発展、
それらが貫徹した結果として、個人という主体での社会構成という
これまでの人類が経験したことのない世界が実現した。
日本の歴史で見ても、伝統的な家族主義・家意識がひとを拘束し、
あるいはマユのように包み込んで、そのマユの中でひとは生きてきた。
生産活動も、「ムラ」という共同体が経済主体であり続けてきた。
住宅のありようにも、このことは明瞭に表れていて、
家には神聖空間として、その家の祖先への崇拝空間が、
そのもっともハレの空間に鎮座してきた。それは象徴的に、家というものが
その血族としての「家系」を包み込むマユであったことを表している。
江戸期の市民社会を構成した「長屋」においてすら、
長屋それ自体が、擬似的な共同体・マユであり、
大きな意味での「類縁社会」を構成してきたといえるのだと思う。
「大屋と言えば親も同然・・・」というような落語に
こうしたありようは、よく表現されている。
それに対して、日本社会が明治維新を経験し
西欧が育んできた社会システムを受容したとき、
「個人主義」が本来は導入される機会だったのだろうけれど、
あの時代の社会システム段階では、帝国主義の時代であり、
「国家」という、より大きな「マユ」が存在して、それに帰属することが
それまでの類縁社会に取って代わった段階だった。
住宅も、それまでの類縁社会システムが、その上部に「天皇制」という
真空装置がかぶせられて、継続した。
こうしたシステムが本格的に変更されたのは、やはり終戦以降といえる。
この段階で、西欧システムの最終勝利国家としてのアメリカが立ち現れ
類縁集団から隔絶した、「個人同士の契約に基づく夫婦」を
最終的な構成因子とした、言い換えれば
「個人主義」に基盤を置くシステムが完成し世界中に広く行き渡った。
敗戦という結果、日本社会は雪崩を打って、こうしたシステムを
むしろ積極的に導入していった。
今日の家族数の極限的な縮小傾向は、このシステムの当然の帰結と見える。
そして住宅は、それまでの意味合いから根本的に変化を見せる・・・。
長くなったので、また明日以降に
考えをまとめてみたいと思います。
Posted on 1月 21st, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話, 日本社会・文化研究
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