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【和のインテリア空間・上芳我家⑧ 四国住空間-46】

長く続けてしまった四国愛媛・内子の上芳我家住宅探訪記、最終回です。 写真は上芳我家の離れの縁空間と座敷空間の様子。 中庭との関係性・調和が主旋律を構成している様子がわかる。 床の間が付いていることで「格調」が高まり庭の風 […]

【野太い材による正直な架構・上芳我家⑦ 四国住空間-45】

未造作の2階からさらに豪快な架構が露わになった3階へ。 上芳我家住宅では和小屋の小屋組で構造されている。 松の丸太の水平材・小屋梁をタテヨコで組み合わせ要所に小屋束を垂直に立て 屋根下地を支える屋根面と直角方向に置く水平 […]

【上芳我家・構造素地表しの主屋2階⑥ 四国住空間-44】

上芳我家の主屋には2階がありますが、未造作の構造現わし。 小屋裏の木組み・野太い梁材などが豪快な空間を見せています。 一見、豪放な大広間を構想したのかと思われたのですが、 2番目の図面のように6つの座敷を計画していたとさ […]

【豊かなデザインの日本住宅開口部⑤ 四国住空間-43】

住宅には「開口部」が決定的な意味を持つ。 現代住宅はガラスという素材が窓やドアの決定的な因子になっている。 ガラス自体は日本でも相当古くから、 それこそ古代の時代から数多く存在しているけれど、 装身具やガラス玉のように装 […]

【製造商工業者の古民家・オモテ空間④ 四国住空間-42】

江戸期からこの上芳我家は愛媛県・内子で木蝋生産で栄えてきた。 白蝋の大量生産・技術革新がこの家系によって確立したからとされる。 栃木県に芳賀という地名があるが、そもそもはその地から精蝋の技術をもって この地に移住してきた […]

【明治有数の輸出産業を支えた食空間③ 四国住空間-41】

この上芳我家、現在価値にして45億円という明治の輸出産品製造業では おおむね30人程度の雇用を生み出していたとされている。 蝋生産の職人やかれらをサポートする女中さんたちなど。 外観写真左側の主屋から右手に接続した棟がこ […]

【明治期輸出産品「木蝋」事業者の家② 四国住空間-40】

明治期の海外貿易において木蝋という産業の位置がどういったものであったか、 その概観を捉えることから、残された建築への理解は始まるでしょう。 現地では概要のおはなしは説明員の方から聞いたけれど、 いろいろと周辺事実を探って […]

【江戸明治期の「木蝋」生産豪商の家① 四国住空間-39】

さて四国の住空間探訪ですが、わたし的にクライマックスの住宅がこちら。 内子という愛媛県内の山間の宿場町で江戸期には旧大洲藩領。 藩の殖産興業策としてローソクや化粧品原料となる「木蝋」生産に注力した。 先般紹介した「臥龍山 […]

【ヒグマと人間社会の平和な距離感確保】

わたしどもの住所は札幌市西区山の手なのですが、 同じ住所名でヒグマの巣穴が発見されて男性2人が被害を受けた。 報道ではこの巣穴には体長40cmレベルの子熊が2頭残され 人に危害を加えた母熊は、周辺山林に逃亡中だという。 […]

【東讃岐山村農家に見る原風景の暮らし④ 四国住空間-38】

日本人と住宅、という関わりについて その原型のようなものを深く気付かされるような典型例。 床面積11坪、「ウサギ小屋」と欧米社会から言われるような家だけれど、 だからこそ見えてくる日本人家族意識の原風景。 写真上は家族の […]