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昔の社会のニュースを考える

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写真は鎌倉期に成立したと言われる
「男衾三郎絵詞」(東京博物館所蔵)に描かれた一場面。
日本史について、独特の史観で知られる網野善彦さんの著作でも触れられているもの。
この絵詞、という形式は巻物の長大な横長スペースを
ストーリー展開に合わせて、絵や文章でわかりやすく伝えています。
で、これは、鎌倉期に関東の武士の一団が、
京都御所警護の大番役を命じられて、上京する途中、
遠江、というから、静岡から愛知県のあたりで、
山賊に出会ったときの様子をニュースとして記録したくだり。
山賊の中に、金髪・異形の人物がいた、という部分なのです。
テレビもラジオも新聞もない時代、
もっといえば、情報社会という今日の基本条件のない時代、
こういうニュースは、たぶん、街道を往来したり、湊湊で宿泊する人々の会話、
というような「うわさ話」として、まず伝播したのだと思います。
その後、そうした人々の感じ入る部分などをある程度、誇張させて、
面白おかしく、あるいは感動的に、説話譚になっていくか、したのでしょう。
江戸期、元禄の世を揺るがせた赤穂浪士の討ち入りなどは、
こういうネットワークで盛り上がり、
その後、時代背景を室町に置き換えて舞台芸術という手段で
わかりやすいストーリー展開に仕上げて、
多くの民衆に、ニュースとも芸能とも未分明な表現として
提供されていったものと思われます。
で、この写真の部分からは、
いくつかの情景や興味が浮かび上がってきます。
なぜ、鎌倉の時代のこの地に、金髪異形の人物が存在したのか。
彼はどのような運命で、山賊の一味に加わったのか?
彼を雇っていた(?)組織とは、どのようなものだったのか?
こういう人物を雇用するに足るだけの経済力はなにに源泉するのか?
京都御所警護の大番役というのは、それほど
金目のものを大量に保持していたから、狙われたのか?
逆に、そういう金目の一団の通過は、どのように情報キャッチしたのか?
こういう事件は、そもそも日常茶飯であったのか?
絵詞として成立して、このようにわかりやすいイラスト表現が
こんにちに遺されているのだけれど、
こういう絵師や文士は、誰が雇い、出版までにこぎ着けたのか?
そして、そうしてつくられた作品は、どのように流通していたのか、いなかったのか?
などなど、仕事上、コミュニケーションに関係しているので、
そういう部分も含めて、興味は限りなく広がっていきます。
前段にも書きましたが、今日の社会は
大衆消費社会で情報も大量に消費される社会ですが、
じつはこういう社会は、ほんのごく近い歴史時間のなかで
急速に広がってきていることなんですよね。
歴史を考えるときに、情報というものが、いかに閉ざされていたんだろうと、
心底から思い至る気がするのですが、
しかし、この絵師のように表現活写力というようなもの、
その迫力のようなものは、まさに強烈に胸に迫ってくるものがあります。
情報の量は、圧倒的に違うけれど、
その説得力のようなものは、圧倒的に迫ってきますね。
結局、歴史の中でも、その主体として
人間が、人間くさく生き抜いてきたことが、歴史として遺されているのだ、
という当たり前のことに、大きく気づかされるのです。

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