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どうして、南部で鉄器なのか?

東北に頻繁に来るようになって、
表題のことがいつも頭のなかに疑問としてあり続けています。
鉄器なので、たぶん、農耕の権力機構という
日本の普遍的な政治経済機構の流れの中から、はじまったことは疑いがない。

奥州市の南部鉄器
平安後期に、江刺郡豊田館(現在の奥州市江刺区)にいた藤原清衡が近江国(滋賀県)より鋳物師を招いて始めた。これが、次第に南下して羽田(現在の奥州市水沢区羽田町)に伝わったと語り継がれている。中世の鋳物師は「歩き筋」と呼ばれるように、必要に応じて地域を転々することが常である。需要主である清衡が平泉に移ると彼らも一緒に移った。実際、奥州藤原氏の時代の遺跡からは鋳型が出土している。奥州藤原氏の滅亡以降は、日用品を細々と鋳造した

っていうようにWikipediaでは記載がある。
以前、同じような疑問を司馬遼太郎さんも紀行文に書いている。
そこでは、「秀衡流」という焼き方の言葉としての痕跡から、
上に書いてあるようなことが、推論されていた。
奥州では金が発掘されていたのだから、
そうした技術の援用から製鉄技術が栄えていったものなのか。
原材料としての鉄鉱石が豊富に発掘されたのでしょう。
製鉄とコメ生産と、日本の権力構造って
非常に一体性が強い関係を持っているので、
南部の製鉄技術とは、どのような背景になっているのか、
興味の尽きることがありません。

さて本日は郡山市で講演会です。
ことしに入って3回目です。
いろいろな新たな出会いがあるので、楽しみにしております。
さて頑張るぞ、と。

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