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「植栽を使った建築」的な庭園

仙台の街を作った伊達藩は
その家系の躍進者である伊達政宗が藩主のときに
領内にその家系を伝えるべく、いくつかの純粋培養領を作っている。
そのひとつが、古川に隣接する「岩出山」。
先日の出張の折、時間を見てその遺構を見てきました。
有備館という藩の子弟のための教育施設が
観光施設としても有名なのですが、
東日本大震災で、もののみごとにぺしゃんこになってしまった。
たぶん、礎石から土台がはずれて、
柱が四方にはずれ、屋根がくずれたものと推測されます。
なのですが、庭園の方は問題なく存続しています。
こちらのほうは、

正徳5年(1715)に仙台藩石州流茶道三代清水道竿によって作庭された回遊式池泉庭園で借景として岩出山城の岩肌を見せ、池の中には茶島を中心として鶴島、亀島、兜島などを配しています。庭園の特徴として石や燈篭を使わず、自然物だけで構成している点が上げられ、大名庭園として旧態を保っているのは、ここと会津若松市の「御薬園」しかないと言われています。昭和8年に有備館は地方領主が建てた最古の学問所として国指定史跡に、庭園は国指定名勝となっています。

というものであります。
この写真は、竹の屏風の先に岩出山城の岩肌を見たところ。
特に予備知識なく行ったのですが、
この光景は、たいへん「建築的」で、
庭園という概念が、良く伝わってくる気持ちがいたしました。
大名庭園って、いったいなんの意味があるのだろうと、
ずっと思っているのですが、
このように建築的なたたずまいとして見せられると
作庭の意図とかがわかりやすく示されていると思われます。
で、こういう植栽をあたかも建築材料のように使うのは
自然な感じがしてきます。
日本人の造る庭って、こういった創作活動なのでしょうね。
創作活動ではあるけれど、
自然物を使っているので、
結局は素材の力が勝っていって、最後は自然に戻っていく。
そういうプロセスの中間に、人間の考え方が遺される。
そういうことではないのかなぁと、
そんな思念にとらわれておりました。

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