本文へジャンプ

楽寿亭

6570.gif
さて、すっかり会津紀行になって参りましたね。
それも、どちらかというと、反権力的に反発混じりな書き方になっています。
遺された建築から見ると、維新のころの悲劇のイメージとは
むしろかけ離れた、泰平の世を楽しむ将軍家一族の
優雅な享楽ぶりの方が明確に伝わってきます。
確かに日新館などの教育への関心の高さなど
瞠目させられる部分もありますが、
会津は、維新の政治混乱をうまく渡り終えられれば、
まったく違った印象で今日に至っただろう古都なのですね。
優雅でおおらかな武家貴族としての
生活享楽ぶりが、なまなましく伝わってくる感じがします。
というか、わたしはどちらかといえば、明治維新から始まる近代日本の
側から歴史を見るクセがあるもので、
どうも、江戸期の勝者の側の遺物に接すると反発心が起こるものなのでしょうか?
どうもみずみずしい感覚的な躍動感よりも
泰平的な享楽感しか、建築からは感じることが出来ません。
どうも、江戸初期に大活躍したという小堀遠州という
ひととその一派の感覚が、体制翼賛的であったのではないか、
などと八つ当たり的に感じてしまうのでしょうか。
御薬園に建てられた、この「楽寿亭」と名付けられた建築も
まことに「結構」で、申し分なく現世享楽的であると思います。
池に向かって、狭い敷地にその内部からの眺望を何より優先させた
建物らしく、傾斜敷地に対して大変華奢な基礎構造が
露出していて、軽快感を表しています。
盆地で、暑い夏を持つ会津での納涼のための建物と感じます。
左側写真のように、建物内部からは池に建物が浮かんでいるかのように
設計意図されていたのでしょう。
この地域独特の、という指向性ではなく、
より南方日本の、本流的建築様式文化を、そのまま、
この寒暖の激しい気候を持つ会津に持ち込んだもの。
なので、この建築と園自体、もっと南方日本にあったほうが
似合うのではないか、ここに存在するアイデンティティがどうも弱く感じる。
という次第です。
どうも、冬の寒冷積雪の時期にはじめて会津を通りかかったので、
ほぼ北海道と変わらない、その印象が先に来てしまって
こうして訪れた建築に対する印象が、
素朴に受け止めていない部分があるかも知れません。
ただ、どうもこの権力者が遺した建築からは
「会津らしさ」というものをあまり感じなかったということですね。
単純に伝統的建築として、その日本的感受性の表現としてみれば、
どれもすぐれた文化遺産であることは、
もちろん論を待たないとは、思います。

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.