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十勝について

きのう、十勝から帰還いたしました。
1泊2日での移動ですが、
行くたびに、ほかの地域と十勝との違いを痛感いたします。
先住民族としてアイヌの方たちもいるわけですが、
北海道は、主に本州地域からの移民によって構成されています。
で、その移民ですが、
いくつかの流れがあると思います。
函館を中心にする道南地域は、江戸期からすでに
多くの自主的な移民が多かったのに対して
それ以外の地域では、基本的に明治以降に植民が進んだ。
で、札幌や旭川を中心として地域では、
開墾を、囚人労働力で行った地域も多く、
そのあと、あらかたの伐採作業が終わった地域を
本州地域から、農業経験の豊富なひとびとを優先的に入植させた。
比較的に、「管理された」開拓が行われたと思います。
それに対して、道東地域・十勝では
依田勉三さんという民間人が、晩成社という開拓団を組織して
独自に開拓を行ってきた歴史がある。
不思議なもので、北海道開拓の基本構想はケプロンさんの建白書ですが、
そこでは米作は不向きなので畑作中心に行え、
とされていたのに、管理された開拓地域ではそれが実践されず、
米作を中心にしていくようになる。
たぶん、米作農家の入植が多く、かれらは日本人として
米作への希求を捨てきれなかったのでしょうね。
一方で、十勝地方では、管理もされていなかったのに、
畑作中心の、ケプロンさんの建白書どおりの開拓が行われ、
いまや、農家所得が他地域と比べて格段に高い、農業王国が実現した。
そして、こういった地域体験が、
独特の「十勝モンロー主義」とでも言えるような
気概や、人間性を生み出していると感じます。

住宅建築でも、
それ以外の地域が、日本的住宅デザインへの郷愁を色濃く持っているのに対して
十勝では、北米的2×4住宅デザインが
多くの人々から自然に受け入れられている。
日本的感受性を超えて、むしろ合理精神が鍛えられていると思います。
このあたり、まだ、意識的にそのような分析なりアプローチはない。
十勝に、建築系の大学がないせいか、
そういった北海道内での地域的デザインの違いについて
研究しようという動きは育っていないと思います。
しかし、確実に、このような変化は十勝で起こっている。

まぁ、しかし、十勝は広い。
写真は、帰り道、芽室の「円山」という場所から一望したもの。
西側は日高山脈、北側は東大雪の山並みに大きく区切られた
台地状地形に、広大な十勝平野が広がっている。
平野を潤す河川も太く長い。
帯広を中心にして、おおむね人口規模は36万人。
独立的な文化を育むのにもほぼ適したサイズなのではないかと思います。
ただ、いま政府が進めている農業自由化、国際競争の激化、
という方針への転換によって、
この地域がどのような変化を遂げていくのか、
不透明な状況になっていくのでしょうか?

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