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和というものと北海道

きのうは、建築家・丸谷博男さんを囲む会に参加。
ポルトガルの建築家・シザさんの建築探訪スライドショーに行って参りました。
たいへん楽しい写真の数々を堪能させていただきましたが、
さらに、集まったみなさん同士での交流会も
氏のお人柄を反映して、和気あいあいの楽しいものでした。
で、そのなかにアメリカ東部の出身の方がいまして、
アメリカ人なのですが、奥さんと北海道での暮らしが長く、
しかも、教師として教えているのが
美術史であり、中心的な研究領域は本地垂釈について、ということ。
まぁ、目が点になるようなお話しで、
そもそも「本地垂釈」ということを知っている日本人、
きのうの会でも、ほとんど誰もいないというのに、であります。
で、そこから丸谷さん、すっかり本領を刺激されたと見えて
<氏は、東京芸術大学卒の建築家として、和の空間デザインが本分>
「和」のデザインについてのスライドショーが急遽行われるという展開。
聞けば、アメリカ人を相手に日本人的な「間」のデザインについて
講演した内容というものでした。
大変、お得な講演会をふたつも体験できた次第(笑)。
そこから、北海道の住宅美学論に話が及んで、
百家争鳴状態に突入してしまったのであります。
丸谷さんとしては、意図的な挑発だったのかなぁ?
で、そうなると、
日頃、北海道で暮らしている日本人としては、
やはりいろいろな意見が、みんなある。

和、というくくりで、北海道も無条件で同じ範疇に入れる
というのが、東京中心の発想だと思うのですが、
わたしは、むしろ、中国から漢字を導入してからの変化と同じくらいの
大きな日本社会の転換が、明治の開国であり、
その後、北海道がたどってきた住宅についての変化の歩みは
日本の住宅文化にとって、
始まって以来くらいのインパクトのあることだったのではないかと思っています。
文化のベースになる漢字の導入も
たぶん、数百年を掛けて日本化の努力が傾けられた結果を
われわれは知っているのであり、
それ以前の日本とは、質的に大きな変化を起こしたことなのだと思うのです。
住宅も、日本人的DNAが、積雪寒冷という条件と格闘する中で、
ようやくにして、技術的に克服する過程にあり、
そこから先にはじめて、日本的感受性との調和プロセスがあるのではないか。
単純に、冬場の猛吹雪を暖かい室内から、
気密にすぐれた3重ガラス入り木製窓を通してながめ、
それを感受する楽しみ、なんていう日本人としてはまったく新しい体験を
わたしたち北海道人は、いま、DNAに蓄積しつつある。
また、写真のような「日本人」とは言い切れないこの島の先住民のみなさんの
こういった空間体験も、わたしたちには、
場所の記憶性、とでもいうようなものとして
持っているのかも知れない(写真は檫文期の竪穴住居内部)。
どうしても、この部分では、
簡単には同意しにくい乖離が存在しているのかも知れませんね。
それが、ヨーロッパでの「北欧デザイン」的なものとして
北海道から発信できるようになるのかどうか
ポイントは、どうもそのあたりのような気がしています。

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