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【家は末代か一代か? 持続可能な「住宅地」とは】

住宅雑誌+WEBを、主に注文住宅ユーザー向けに発信しています。
そういう情報メディアなので「どう建てるか」という探究がメインになる。一方の
「どこに建て、住むか?」という必須興味分野については前提条件ということで
あまり深く考え込むことは少ない。
気候風土条件としての必須な性能要件もまた普遍的条件の一端。
土地選択はあくまで建て主さんの生き方選択要件であり、
それについては受動的に「受け止める」ということになる。

しかし、自分自身の家づくり・環境選択ではこの
「どこに建て、住むか?」というポイントはきわめて大きかった。
「将来、この地域がどうなっていくか?」というポイントは人生の長期戦略選択。
当たり前だけれど、将来的な「不動産価値」としてきわめて重要。
また多くの住宅取得者にとって「先祖代々」とか地縁血縁条件は希薄になり
住む土地自体、いわゆる無名性の強い「郊外大規模開発住宅地」選択も多い。
そういった無名性条件の拡大が大手デベロッパーやハウスメーカーという
「量の市場条件」に最適化された事業者が業界主流を形成する要因になる。
大量生産・大量消費の資本主義的システムに順応するということになる。
しかし今日、その社会システム自体も「老朽化」してきている。
東京などでもいっときの「ニュータウン」が一斉に高齢化して
やがて地域の流動性発展性が毀損し停滞していくことが問題化している。
多摩地区などが象徴的ですが、それ以外の地域でも
ただただ現在の土地価格条件だけで住宅地の遠距離化が進んでいる。
都心の勤務先への「大量輸送」を前提としてほぼ同一年代のユーザーばかりが
その地域に集住し、その年齢構成のままに地域が衰退するという問題。
メディアとして「注文住宅での好適な環境作り」という視点だけでは
解決しにくい「住宅問題」が浮上してきていると思うのです。

この問題は日本人の伝統的住宅価値感、家の存続というテーマとも関わる。
資本主義的な社会システムとして地方から都市圏に人口移動させ
かれらを労働力として集約することで日本は社会発展してきたけれど、
それ以前の社会システムは、地域共同体「ムラ」社会型であって
地縁血縁が優先されたシステムだった。そこでは家とは永続するものであり、
家系の発展を建築形式で表現したものというのが普遍理解だった。
そういう社会で土地取得が難しい農家の次男3男層が都会に出ていく。
江戸期を通じてそのように社会が機能し江戸は人口調整機能を果たしていた。
ムラ社会では人口が増え続けたが、江戸で独立して伝承可能な
家系を新たに開くというのは、非常な狭き門であり、
そもそも極端に男性が多いいびつな人口構成で、そういう流入人口が
「所帯を持つ」ことは、事実上、非常に難しかった。
江戸期を通じて、そのような人口抑制機能を大都市は果たしてきたといえる。
それが機能した証拠に元禄頃到達の3,000万人口が幕末まで固定された。
明治、また戦後以降、資本主義的発展が進行して、
都市労働力層がふるさとを離れニュータウンに現実に家を持てるようになった。
このこと自体は江戸期からの大きな社会問題の解決ではあったけれど、
しかし田舎のように生産手段・田畑と近接した住宅ではなく、
ただただ、人が住むという機能にだけ特化した住宅であるに過ぎない。
言ってみれば「どう生きるか?」の機能がない住宅なのだ。
働く場所は満員電車で数十キロ先にあってその間を往復する人間環境。
生産手段と切り離されたそういう「集住環境」が永続的かどうかは
まだ、社会的に解明されてはいないというのがいまの現実だと思う。
こういう住宅を子どもたちはふるさとと認識し、永続を願うかどうか?

この問題、社会システムとしてまだ誰も「解」を持っていないのではないか。
そういう不安を感じているのはわたしだけでしょうか?

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