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【縄文の団欒6000年前 in北陸富山/日本人のいい家⑧】




縄文期の生活痕跡は全国で多数見られるけれど、
新幹線土木工事が行われた北陸地方では、近年大規模に発掘されている。
いまは日本海海岸線から4km内陸にある「小竹貝塚」の探訪記録。
以下、富山県埋蔵文化センターHPの紹介記事要旨抜粋。
〜小竹貝塚は、富山県のほぼ中央に位置する呉羽(くれは)丘陵と、
その北に広がる射水(いみず)平野との接点に位置しています。
貝塚は縄文時代前期後葉(約6,000年前)を中心とする500年間営まれました。
現在、貝塚は海岸線から約4㎞離れた、標高約3mの内陸部に位置しています。
しかし、貝塚の時期は縄文海進の影響で貝塚のすぐそばまで
海水と淡水が入り混じった汽水域の潟湖が広がっていました。
平成21・22年度の北陸新幹線建設工事に先立つ発掘調査で、貝塚は
現地表下約2mに広がり貝殻の廃棄域以外にも墓・住居・生産加工域などをもつ
通年定住型の集落であることが分かりました。大半を汽水産のヤマトシジミで
占められた貝層の厚さは2mを超え、日本海側最大級といわれます。〜以上。


で、こちらでは縄文期の竪穴住居での家族団欒・食事風景が展示されていた。
4人家族という想定で汽水域からのヤマトシジミとおぼしき鍋食。
まだ若いお母さんが立て膝で鍋を調理していて、
対面してお父さんはあぐら座りで、一心不乱に石斧づくりをしている。
囲炉裏火の回りには各種食材が容器に盛られている。
手前のお姉ちゃんはお母さんの手伝いで魚肉すり身、つみれ団子を丸めている。
そのほか、木の実類で団子をこしらえることも多いとされる。
縄文の人々は狩猟採集で動物や魚介類、木の実・根菜類を食べていた。
シカやイノシシ、ウサギを狩猟する矢の先端の石鏃が多数発見されている。
魚介類は網漁で「軽石」を浮きとして利用し錘として石や土器製品が使われた。
竪穴住居からは鯛・ニシン・アオザメなどの骨が出土確認されている。
採集としてはクルミ・クリ・トチ・ドングリなどが食用利用されていた。
調理方法としては、縄文土器は鍋として利用されていた。
<日本人の食の基本、DNAはやはり鍋食だと思う。>
石匙(さじ)は動物や魚の皮を剥ぐのに使った「ナイフ」。
石皿と磨り石は、木の実をすりつぶすのに使った。
山の幸、海の幸を縄文土器に入れて火にかけて煮込み、
魚肉をすってまるめ「つみれ」として鍋に入れてスープといっしょに食べた。
木の実などは、谷の湧水池でアクを抜いてすりつぶして粉にして
団子に丸め鍋に入れたりクッキーのように焼いていたと推定されている。
う〜む、炭水化物少なめな健康食・・・。

なんとも豊かな食生活が想像されてくる。
それと、女性の「立て膝」習慣がマネキンで復元されているが、
いまの大河ドラマ「麒麟がくる」でも、女性登場人物は多くが立て膝姿勢。
日本女性の基本的な姿勢習慣として、根強く存続していたとされる。
この縄文時代でも同様だという復元考証。これもまた興味深い。
いやむしろ、正座という中国からもたらされた宗教的な座習慣が
本家の中国では廃れ、日本で継続していることの方が面白いのかも。

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