最近、宮城県で住宅の動向を取材していて「雰囲気」として、
1000年前の貞観地震大津波から東日本大震災までの期間の長さをみて、
「もう1000年くらいはああいう大災害は来ない」
みたいな考え方が一部でささやかれている。
住宅ってそもそもそんな長期間の存続まで考えるものではないし
現代では核家族化の進行、企業勤務への生業変化などで
永続する「家系」の拠点という伝統的意味合いが薄れたか消失している。
子どもが「代々の」居住資産として受け継ぐような意識はないのだし・・・。
というのが抜けがたいホンネではないか、という次第。
結果、ローコスト住宅花盛りという市場の現実がある・・・。
これはある意味、ホンネそのものだろうなと思います。
ただ、貞観地震から東日本大震災のスパンが1000年だったことが
考え方の根拠だとすれば、それは「定理」ではない。
どうも活動期に入っているような列島のマグマ的自然状況をみると
むしろ災害は「常在戦場」的な危機が高まっていると思われます。
しかし、家というものは今日「受け継いでいく資産か」という疑問には
たしかに納得できる部分もある。
住宅の寿命は、物理的な長期優良性確保はもちろんだとしても、
しかし、用途と使い勝手などの細部までが不変であるとは言えない。
「暮らし方」は時代によって好みも変わるし、規範も推移する。
問題は「いまなにが重要か」という価値観の問題。
この価値観の変化のなかで、住宅もゆれ動いているということでしょう。
その点では家族でも親子でもやはり違いが出てくる。
そもそも住宅は土地に根付いて建てるので、
その「土地」に暮らし方が当然「縛られる」ことになる。
そんなことからちょっと自由になりたいという現代人の意志を感じる。
しかしまた逆に首都圏「地方」では新たな「地元」意識の高まりも見える。
図は関東の「古地形」と現状の姿。
1万年のスパンで見れば関東の平野部の多くは海の底。
その右側にあるのは、5000年前の海岸線とそれに随順した
生活痕跡である「貝塚」のマッピングです。
万年単位で見る必要はあまりないでしょうが、
しかし地盤補強などの基礎知識や、気候変動にともなう災害については
安全安心という重要要素についてベーシックな「知恵」を教えてくれる。
ビッグスパンの知恵と、個性的な生き方との相関関係、
住宅を考えるふたつの基本要素なのだろうと思います。
北海道発の寒冷地住宅の基礎技術は、そのなかの
「生き方」の基礎条件で「いごこちの満足感」を提供するもの。
こういうスタンスで、ユーザーのよりよい選択をナビゲートする
イマドキの住宅(情報)提供側は、こういうことになるのだと思います。
Posted on 11月 29th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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