ちょっと前に1160万年前の「最新の生命絶滅痕跡」発見、
というニュースが流れていましたね。
写真はそのニュース当時、NASA提供の写真として流布されていたもので、
その下は産経WEBで見られた図表です。
地球の年齢は45億年前後と言われていますから、
この図表にあるのは、生命が宿った以降での「大量死」であって
それ以前にもたくさんの隕石や小惑星天体の衝突とか、
あるいは地球の一部が月になって分離していった、みたいな
人知を越える大変動が、こんなふうに幾度となく起こっている、
そのことがかなり明瞭に見えてきたということなのでしょう。
現代世界がたとえ滅びたとしてもそれが最後ではなく、その先にも
輪廻転生の世界は続いていくのだともいえる。
みなさんはこのニュースをどのように受け止められたでしょうか?
ここまでの巨大科学事実までは想像力は及びにくいのですが、
わたしは身近な北海道石狩平野地域や関西地域の「地形変動」が、
「ほんの」6,000年前や2,000年前程度で事実としてあった、
そういうことをさまざまに知るようになってからか、
ある意味、不思議と気分が軽くなっている自分がおります。
で、なんでなんだろうと考えるのですが、
こういう事実、科学的解析が導き出す宇宙規模の物理の姿というのは
「輪廻転生」という思想そのものではないかと思えるからなのです。
どちらかというと他罰的な傾向が強い
支配的な一神教宗教、そして左翼共産主義思想などでは、
こういう科学事実の普遍的受容は縁遠いかもしれない。
それはこれらに特徴的な、誰か他者、あるいは事柄を悪と見立てて正義を実現する、
みたいな思想体系が根本的に冷静さを欠いているのであって、
科学解析される宇宙物理は、この「輪廻転生」が基本だと証明されてきている。
そういう意味で「他罰的ではない」思想発展の機縁になるのではと思える。
こうした輪廻転生型の価値観を持っている
仏教思想こそ、こういう最先端の科学解析受容にはふさわしく感じられる。
極楽浄土の来迎には地球年齢と近い56億7,000万年後という年代特定もある。
科学的に冷静に物理を分析し対応することがもちろん基本ですが、
さりとて人類に小惑星衝突を回避できるような科学的な力が
できるとも思えないしその力を持ったとしても
人類社会がそれを的確にハンドリングできるかどうかにはきわめて懐疑的。
今後の精神的な判断基準は、仏教的な自省的宇宙観の方がふさわしい。
万物流転とか、諸行無常とかという輪廻転生思想の「正しさ」が
科学的に裏付けられてきた、というような思いがあるワケなのです。
繰り返し自然災害と共存してきた日本社会には
こうした輪廻転生思想は、比較的に民族の精神性にも根付いている。
・・・加齢の結果でこういう価値観に親近感がうまれるのでしょうか?
Posted on 11月 28th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪, 状況・政治への発言
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