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【対韓国だけ「鎖国」が平和的では?】

韓国との関係が非常に難しい状況になっていますね。
当面の間は好転するようなことはないように思います。
こういう時期には、不測の軍事的衝突のようなことに慎重に注意すべきでしょう。
対中国やロシア、北朝鮮についてはさまざまな「シミュレーション」が用意され
いわば「危機管理」のひな形、定型化した対応があるそうですが、
韓国との間ではそのようなことを想定していないとされる。
<ちなみに、今この状況の中で、ノー天気に「芸術祭だ」と言って
公費を使ったイベントを仕掛けて炎上させている自治体があるようですが、
活動家的な「芸術監督」は別にしても、知事さんの感覚を疑ってしまう。>
こういう時期、とくに国家間のことなので、緊張はあり得るけれど、
そうであるほどに、注意深く「管理コントロール」する必要があるでしょう。
務めて冷静な世論になるようにキモに銘じていなければならない。

ただ、歴史を見ていると、
こういう国際情勢感覚は日本が置かれた地政学的な位置から、
ながくあり続けてきたというのは自明ですね。
江戸の「鎖国」は、東アジアにおける一種の平和戦略としても機能していたのでしょう。
東アジア世界ではながく中国との関係が基本的国際秩序であり、
朝鮮半島国家にしてみれば、日本は「夷狄」的に見えるのでしょう。
そういった国際秩序に対して、日本は「脱亜」の方法として
最低限の国際関係にしたいということで鎖国していたのではないか。
非常にすぐれた平和的外交方針だった。
幸いにして、海を隔てていることがこうした方針を可能にしたのでしょう。
最近の日本の対韓国の考え方で
「ていねいに無視する」という小野寺前防衛大臣の考え方があるけれど、
そこには江戸期の鎖国政策的な色合いが強く感じられる。
「鎖国」には対外的緊張をあおるような側面は見出しにくく、
相手側にも、基本的には平和的な姿勢は十分に伝わるのだと思われる。
国としては嫌われていることは知った上で、平和的に近隣でいるためには、
断絶ではなく、鎖国という「迷惑を掛けない」という姿勢の方がいいのでは。
「善隣友好」ではなく「善隣鎖国」という考え方。
国民間や経済の人的往来とか交流は大いに行うことは地政学的に当然で、
あくまでも政府間での関係について、ということ。
この「鎖国」的な対応の仕方というのはあくまで「対韓国」だけの考え方で、
世界との関係についてはまったくこれまで同様ということです。
心構えというか、国民感情的にヒートアップしないためですね。
乞われれば対応するけれど、けっして深入りはしないというように。
国としての対韓国外交方針として、鎖国的に対応すべきではという次第。

<写真は国立博物館で展示され撮影許諾の横山光輝さんの「三国志」原画。>

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