日本の京都などの都市のなかには、
塀で囲まれた寺院などの文化的建築が多く存在する。
そこでは建築本体の空間へのアプローチとして
門や庭などの「心理的隔離」装置が一般的に存在する。
武家屋敷や明治以降の「高級住宅」などでもこういった形式が一般的。
現代ではほとんど意識されなくなってきた「家」意識の
基本骨格にこうした美意識が存在すると思います。
そのとき、門というのはいわば家の「格式」を表現した。
いまや高級住宅の建て替えで庭石などが大量に廃棄され
行き場がなくなってきていると言われるけれど、
こうした空気感としての隔絶装置自体が、顧みられなくなってきている。
しかしたまにこのような寺院建築などで、
非日常感としてのこうした美意識をときおり、忘れないように
体験することも、やはり日本人は好きなんだろうと思う。
なにかの「用になる」という意味合いではなく、
いわば心的な装置としての存在を日本人はやはり好み続けている。
写真は先日訪れた松前の古刹の門。
この寺は龍雲院という寺号ですが、
各所に龍や虎などの彫刻が施されていて、
来る者を歓迎してくれている。
やはり日本の建築は本体建造物のほかにこのような
付属的な装置が、非常に大きな意味合いを持っているのでしょうね。
というか、中国には門と内庭が重要な四合院住宅という形式が残っている。
塀で結界を作って、空気感を外界から隔絶させるというのは、
人間本然の願望なのでしょうね。
こういう立派な門をくぐるとき、やっぱりリスペクト感を持っています。
Posted on 5月 8th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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