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【山形蕎麦店の開放型灯油ストーブ】


先日山形市内の山形蕎麦名店で食べた蕎麦が忘れられず、
もう一度訪ねたら、月曜日定休という残念な事態。
しかたなくインターネットで調べて「板そば」を。

というところまではよかったのですが、
ふと目に止まってしまったのが、店内に鎮座する開放型灯油ストーブ。
店内のインテリア自体は、いかにも「田舎ふう」で悪くはないけれど、
食材を提供している場所で、こういう開放型灯油ストーブは
どうにも全体の環境・雰囲気を破壊しているように思う。
石油ストーブは燃焼させると臭気が発生する。
独特の石油燃焼臭が立ち上がってくることは避けられない。
開放型灯油ストーブの場合、燃焼に必要な空気を室内から得て
同時に排気ガス臭気も室内に放出する。
この室内空気利用の問題から結露問題まで、開放型は問題が多すぎる。
北海道では常識として吸気も排気も外気を利用するFF式が主流。
ほぼ常識の世界から開放型は駆逐されていると言っていい。
食べ物というのは、繊細にいろいろなことを「味わって」食べたい。
とくに蕎麦のような食品の場合、その微妙な味わいがキモ。
たしかに「そばの匂い、かおり」というものまでは
感受力が及ぶかどうか、それは定かではないけれど、
すくなくとも玄妙な味の世界に浸っていたいとは思う。
そのときに、室内空気がある特定のバイアス下にあると
「味わいの世界」が大きく制約を受ける。
味覚の世界が大きく毀損されることは明らかではないだろうか。
そばがおいしければ、他のことは関係ないということなのか。
そういう鈍感さをもって客に接しているように思われてしまう。残念。

きのうは日中気温は12-3度まで上昇していたけれど、
田舎風であるが故に、店内には陽光導入はごく限られている。
ひんやりとした室内で過ごしていて
そばを待つ間、このストーブのことが気になっていた。
あの石油臭気が感覚にトラウマ的に想起されてくる。
そうなると、玄妙さを味わう味覚の準備もおぼつかなくなった。
つゆも冷やしすぎで、口中での温度緩和可能レベルを超えていた。
いきおい、ゆっくり味わうことができなくなる。
立派な板そばの姿だったけれど、そそくさ胃袋に流し込むしかなかった。
残念ながら、開放型灯油ストーブを起点とした
イメージの悪循環から逃れられない時間を過ごしてしまっていた。
ちょっと敏感すぎでしょうか?・・・。

※なお、筆者の勘違いで「開放型灯油ストーブ」を
「ポッド式石油ストーブ」と一時的に表記されていました。
可能な限り文面は修正していますが,一部、修正不能箇所がありました。
あしからず、よろしくお願いします。

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