やはりこういった「たたずまい」が日本人の家の原点になるのだろうか。
高温多湿の気候条件の中で、日本人とその自然環境の中で適合した植物群とは
共生感をもって生き延びてきた。
自然との関係性である「農」の暮らしが基本であるとすれば、
日々の微妙な気候感受に最適化された住居形態が求められる。
こういう写真のようなたたずまいが、そうした暮らしにはフィットする。
季節感のランドマークとして、草花が植栽されて、
その季節変化によって、いま農作業でなにをなすべきかが即座に伝わってくる。
その上、基本的には開放された外部空気との一体感が重視された。
それによって微妙な季節の温湿度への感覚を鋭敏に養わせてきたものか。
基本はこうした開放的な暮らし方であって、
必要な自然や気候条件などへの「対応」は、障子や建具類によってなされた。
農の住宅や都市の邸宅住宅に於いては、基本的ライフスタイルはこうだったのだろう。
どちらも基本は家・建物と自然感受装置としての庭が一体化されていた。
家+庭というワンセットが日本人には似つかわしい。
街並みとしても、緑の環境の中に点在するという程度が
日本人の住宅の原風景としてふさわしいのだろうと思う。
木を利用して家を建てていくことから、水平と垂直の「木組み」がデザインの
基本要素になっていくことは自明だった。
こういった日本住宅の基本に対して、今日建てられている住宅は
基本的には「町家」のスタイルに戸建て住宅の文化が融合された形式だろうと思う。
自然との対話というよりも、都市性との調和ということの方が重要視される。
農の暮らしが自然の変化を感受することを重視するとすれば、
現代住宅は職場・学校との近縁性、「便利さ」の方に重要度を求める。
自然との対話は、都市では週末にレジャーで楽しむモノであり、
普段の暮らしはなによりも利便性の方向に判断基準は向かっていく。
ただし、いま金融の過剰によって生み出されつつある格差社会では
この利便性の上にさらに「上質」であることが希求されつつあるのかも知れない。
その質的な希求要素は、どういった基準になっていくのか、
さまざまな試行が提起されていくだろうけれど、
伝統回帰というようなことも有力な選択肢にはなっていくのではないか。
一方で庶民の暮らしようはどのように変化して行くのか、
よりきめ細やかな「階級格差」的なものになっていくのか、
よりシンプルな、プロトタイプ的なものに向かっていくのか。
要は、庭との関係がどうなっていくのかが、
結構、決定的なのかも知れないと思っています。
日本人の庭へのこだわりは、たとえば盆栽文化というような昇華したものも生んだ。
利便性の方は、方円に従うように選択されていくだろうけれど、
うるおい文化の方は、より多様な発展可能性に満ちていると思われます。
写真のような空間にたたずんで、ふと気付くようなことが、
ニッポン人の多くがいま求めているものであるように思っています。
Posted on 8月 14th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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