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【ニッポン「のど越し」麺文化 つけ麺論争】

きのう夕食時の家族の会話。
「つけ麺って、温かいスープにつけて食べるよね」
「うん、つけて食べているウチにスープが冷たくなったりするよね」
「そうそう、それで、食べる麺の方も温めて出すのがあるんだって」
「ふーん、そうなると温麺との違いが微妙だね」
「そう、そこでインターネット上では論争があって、
そういう食べ方をするくらいなら、温麺で食べろ、という意見も強い」
「でも、つけ麺本来の食味・醍醐味がそれでは失われる、という反論もある」
っていうような話題であります。
寡聞にして、イタリアのスパゲッティの食べ方についての
国民的論争というような情報にはうといのですが、
日本人の麺嗜好というのは、いま現在でも進化発展ぶりが目覚ましい。
その最先端で、「つけ麺」という文化が盛り上がり、
その進化論の最先端で、この部分に興味が向かっているようなのです。
カミさんはどっちかというと、温麺で食べろ派。
一方、娘とわたしはつけ麺の「のど越し」重視派ではありました。
あ、でもわたしはつけ麺が大好きというわけではなく、
つけ麺という文化の本質はそっちの食味にあるだろうという意味。

わたしは一時期、9年間ほど東京での暮らしも経験しているけれど、
北海道札幌で長く暮らしてきた人間です。
いわゆる「さっぽろラーメン」文化の草創期から、麺文化に浸ってきた。
そばよりも先にラーメンを食べて生きてきたように思います。
はじめてラーメンを食べたときのことをまだ、鮮烈に記憶したりしている。
最近さっぽろで流行っているラーメンというものを家庭でも食べようとなって、
おふくろと姉とが研究して、作ってくれた。
「おお、これがラーメンというものか」という衝撃感があった(笑)。
ご先祖様の記録を調べてみると、
どうも播州のそうめんなどにも関わっていたようです。
多少は先祖で繋がっているかも知れないひとが、元祖なんとかという
そうめんを商っていたりする(笑)。
以来、たくさんの麺文化に触れて生きてきたわけですが、
やはり、この「のど越し」感は、この食文化のキモの様な気がします。
写真は秋田の稲庭うどんを、有名店の佐藤養助で食べたものですが、
うどん文化でも、稲庭のように「のど越し」重視は根強い。
まぁ食文化なので、どれが生き残っていくかというユーザー選択の問題。
この「つけ麺」論争、先行きが面白いかなぁと思っています。

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