北海道では地域を挙げて「暖かい家」という生活文化に
開拓期以来、一生懸命になって挑戦し、邁進してきた歴史だったと思う。
今日「日本列島」とわたしたちが地図的に認識している空間世界で、
ひとり北海道島だけが、日本国家史からつい最近140数年前まで
取り残され続けてきたのは、ひとえにその寒冷という冬期条件が
日本民族生活文化を超えるものだったことによる。
まずはなによりも、この厳しい寒冷気候に対して生存を保障してくれる
住宅の進化が求められ、追究されてきた。
そのプロセスでは実に多くの試行錯誤が繰り返されてきたけれど、
そういったいわばフロンティア的な活動が、
地域として、止揚されて現在の住宅生産文化を生成させている。
その過程で、「寒い家」というものは多く解体廃棄されつづけ、
使用されながら、なお現在もあるという住宅は実はあまりない。
長く人間がその住宅を愛し続けるということがあって
はじめて「古民家」という存在は保ち得るけれど、
北海道ではそのような、いわば「愛着を持てる」古民家はきわめて例が少ない。
愛着は例えあったとしても、その厳しい寒冷が存続を許さなかった。
今日でも少数派として、断熱概念の少ない家は賃貸住宅などで存在するけれど、
断熱概念がない家はただ廃棄された。そういう家はほとんど残っていない。
どうしても先端的な住宅とか、性能技術を取材することが多いこともあり、
そんなふうに思っていたけれど、先日栗山町で小林酒造さんの
古民家住宅を訪れて、その認識を改めさせられた。
つい数年前、先代ご当主のかたが亡くなられるまで住まわれていた家が、
無断熱の数寄屋的高級住宅として、いまは喫茶コーナーなども設けられ
一般に見学可能なかたちで公開されている。
酒造家として成功され、本州地域で一般的な宏壮な邸宅を建てた。
数寄屋的な贅をこらして建てられていた様子がわかる。
数十室もある大邸宅だけれど、冬期の寒さは言語に絶する世界だったと、
この家で成長された娘さんである女性から聞いた。
冬の間、ほとんど足を踏み入れることのない部屋を紹介して歩く
そういう「オプションツアー」を挙行することがあるそうだけれど、
参加者は全員ダウンジャケットに、靴下を数枚穿き重ねるという
完全防寒体制でチャレンジするのだと言うこと。
そういう覚悟もなくふらっと立ち寄っただけだったので、遠慮しましたが、
こういう「北海道の寒い家」という体験は、
北海道人もほとんどがいまや、忘れ去っているし、
本州以南から来られる方も、断熱され暖房が行き届いた住宅体験しかない。
そういった意味では、貴重な住宅事例ではないかと思い至った。
ほんの少し写真のメイン居室を見せていただいたけれど、
内部インテリアは、日本人の成功者として贅を尽くした豪華さ。
しかしたった1〜2室見せていただいただけで
なによりの贅は「暖かさ」であるということに圧倒的に気付かされる。
まことに貴重なタイムスリップ感覚が味わえる存在だと思いました。
ことしも厳寒の2月時期には多くの住宅関係者が
北海道の先端的住宅事例を訪れられる機会が増えますが、
そんなときに、こういったオプションツアーもいいかも知れません。
東大の前真之先生などにもオススメしたいとイタズラっぽく考えた。
ブルーな熱画像の美しさもいいかも(笑)。
Posted on 1月 5th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 住宅取材&ウラ話
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.