札幌は世界的にも多雪の巨大都市。
年間降雪は6m以上に達するのに、人口規模が200万人近いというのは
人類社会でも珍しい都市だとされているそうです。
そういった過酷な条件の地域では大都市は形成されないというのが
合理的に考えれば常識と言うことなのでしょうか?
明治の初年に北海道の首府を計画したときに
いろいろな候補地はあったのでしょうが、日本国家はこの地を選択した。
で、住み続けている実感からすると、たしかに多雪ではあるけれど、
ほかの北海道の各地域と比較して、それなりに安全度は高い。
明治の開拓計画はそれなりに考え抜かれたものだった。
逆に多雪であることから、一回積雪してしまうと、
地面からの放射冷却が緩和されるようにも思われます。
さらにいうと、雪が多いと視界の「底が明るくなる」効果がある。
たまに多雪積雪状況の中で、ドピーカンの青空が広がると
地上を覆った積雪が大きく光を乱反射させ、目も開けられなくなる。
ああいった「きらめき」感は、この地での暮らしが
日本人に対して与えてくれた新しい感受性体験だったように思います。
さらに雪のある暮らしは、
創造性を持った子どもたちには、楽しい自然のオモチャを提供する(笑)。
この地の環境は、荒れ狂ったような凶暴なブリザードももたらすけれど、
それを室内の安全なシェルターでしっかりと守ってやれば、
風雪が収まったあと、人間の想像力の発露を待ってくれている(笑)。
簡単にどんな造形も可能なので、
滑り台を作ったり、雪穴を作ったり自由自在な素材を提供してくれる。
わたしたち北国人は、こういった「環境」に対して、
あるときは断熱という建築技術で立ち向かうけれど、
札幌市内はその堆雪スペースを、広い道路幅員などで、
街中であってもそれなりに都市計画として確保させている。
200万を超える大都市だけれど、まだ未利用の市街化調整区域も多い。
それらが、広い「ふところ」を形成していると思う。
雪は多いけれど、道路幅員が広いので冬場の雪を溜めておく場所も
それなりに広大に確保されているのだと思う。
先日雪かきのことを書いたけれど、雪かきは処理場所が問題なのです。
多雪であっても、都市計画も含めたことで対応は可能なのです。
ほかの多雪地域・東北以南日本海側都市と比較して、実感する。
北国人は積雪寒冷の「環境」のなかで、
けっして断熱一辺倒でひたすら忍耐・防御で暮らしているのではない。
多雪という環境と対話して、それと柔軟に「応答」しながら、
独特の暮らし方、生活感受性を涵養しているのだと思う次第。
本日、たまたま縁あって、環境住宅論というテーマで
多人数の建築関係者が集まる機会を作る結果になりました。
どんな「環境論」が飛び出してくるのか、
ちょっと楽しみになって来ております。
Posted on 12月 15th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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