本日は政治から見えてくる、コトバの扱い方文化論です。
先般の東京都知事選の首長選びでの、
「ジャーナリスト」鳥越さんの無惨な姿と、一方で政治的経験値の高い
小池さんが圧倒的な大差で勝った様子を見ていて、
政治家というのは、なによりもコトバの扱い方においてのセンスが不可欠だと
そういった共通認識が日本人にはできたように思います。
日頃から、日本の政治家はレベルが低いだのなんだのと、
マスコミに良く出てくるような「ガーガー・しゃべくり屋」さんたち、
その代表者たる「コトバの専門家・ジャーナリスト」としての
鳥越さんの、言葉と中身のあまりの無内容さの露呈ぶりを見て
まだしも日本の保守政治家は、そういったバッシングに耐えて鍛えられている、
打たれ強い政治家がそれなりに育っていると思わされた。
政治家は批判されて育つという意味では、安倍さんは最たるものかも知れない。
で、一方野党側です。
さしたる実績は無いけれど、キャスター出身で言葉自体は
歯切れがよい印象で、その美貌もあってなのか、
蓮舫さんが次期民進党の党首確定状況とのこと。
思い出すのは民主党政権時の予算切り捨て「仕分け」の時の
「(世界で)二番じゃダメなんですか」という発言くらいでしょうか。
そういった注目のなか、これも一種のパターン化してきた
日本外国特派員協会で記者会見、お披露目のようなことがあった。
そこで飛び出したのが、
蓮舫氏「岡田代表は大好きだが、つまらない男」という発言。
わたしも男なので、こういった言われ方をした立場を考え込んでしまった。
これでは岡田さん、二度と立ち上がれないのではないか。
政治的資産としての「見てくれ」という美貌要素では
かなり「女力」がある蓮舫さんから、男としての残酷きわまりない評価が
このように発せられると、かなり「男はつらいよ」と思わざるを得ない。
まぁそれは、岡田さん個人が投げつけられただけなので、
かれに同情すれば良いだけのことだけれど、
この方が「野党党首」になったときに、こういった不用意な疑問発言が
頻発する可能性を予感させてしまったと思う。
別に台湾系中国人という素性について論難するわけでは無いし、
そういう「国際化」は今後不可欠だと思ってはいるけれど、
やはり日本政治にとって大事な「野党党首」には、日本語・コトバに対する
繊細な感受性と、それを使っての政治的攻守力が求められる。
いきなり「つまらない男」と言われてしまっては、
かなり多くの日本人は、そのセンスに引かざるを得ない。
察するに、たぶんこのあたりのコトバの感受性において
微妙な部分で、コトバぢからとして日本語の表現力に不安を感じさせる。
まさか、日本人社会でのこういう言葉の使い方として
それを理解した上で語ったものではないだろうと思う、たぶん。
いわばエトランゼとしての、それもとくに微妙な男女間文化的ズレなんでしょう。
しかしネイティブでないと、同情的翻訳は今後してくれないと思った方が良い。
彼女にこういう発言についての挽回のセンスが果たしてあるかどうか、
やはり政治家には、日本語を正しく扱って語って欲しいと思います。
Posted on 8月 25th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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