きのう書いた【新建築住宅特集・「環境住宅」新時代を読む】について
多くのみなさんから反響をいただきました。
地域住宅雑誌の立場として、あまりにも断熱を無視したその論調に
ごく控えめに、その問題点を指摘させていただいた次第。
その反響の中には、いわゆる建築の世界での北海道の位置について
「なるほどそういうことか」と再認識させられる部分もありました。
日本の人口の85%以上は、いわゆる温暖地に住んでおり、
人口15%以下の地域に住むということは、いわれのない上下構造に
絶対的局面でひれ伏させられる時がある。
中央集権というのは、別に政治だけのことではなく、
あらゆる業界構造において、中央と地方、都と鄙という差別構造があるという
その現実について考えさせられた次第です。
わたし自身は、インディペンダント・ベンチャーとしての人生を
大部分において選択してきたので
そのような被差別意識的なものを抱くことは少なかったのですが
建築の世界でも、そのようなヒエラルキー意識があるのですね。
勉強になるとともに、この歳にしてようやくにして気付く点もあった。
そのような序列には大いに心していかねばと自省するとともに
その理不尽さに、根の深い決意も持たせられます(笑)。
やはり「王様は裸だ」と、率直に言える世界の方が
これからのひとは生きやすいのではないか、そう思えます。
わたしが歴史好きなのはご存知の通りですが、
日本列島では、東北地方がこのいわれのない差別意識によって
圧伏させられた歴史を持っている。
桓武という権力によって、無辜の民が虐殺された末に、
しかし藤原政権という、異権力が100年近い独立を勝ち取ってもいた。
そういう故事をよしと考えるワケではないけれど
自分が中央であると認識している側は、もう少し鄙について
謙虚さを持って当たるべきではないか、とは考えます。
この伝統的「小中華」思想は、この国に抜けがたく存在する。
もっと民主的な社会運営を、志すべきだろうと思います。
ということで、週末、所用で北海道から沖縄に来て
こんな思いを強く持っていた次第であります。
Posted on 6月 11th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.