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大量死の先にある日本の宗教施設

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写真は日光東照宮への表参道の様子。
現代でこそ、「日光道」という有料道路を走り抜ければ
宇都宮から小1時間という距離ですが、
江戸期の交通を考えれば1日の旅程。
その末に、ようやくこういった空間にたどりつく。
緑に包まれた自然そのものの山中に、忽然と大鳥居が出現する。
厭離穢土欣求浄土、という旗印を掲げていたという
徳川家康。
この言葉の意味は、穢土(えど)〜よごれきった現世を遠く離れ
美しく清らかで心安らかな浄土を、よろこんで求めたい、
そのために戦うんだ、というスローガンだそうです。
ひどく線香くさいというか、厭世的とも思える。
同時代の、たとえば石田三成のスローガンが、
「大一、大万、大吉」というにぎやかで現世利益的な響きであるのに対して、
なんとも哲学的な、死生観を感じさせるような表現。
武将として戦争を行うのが宿命であり、
そのためには、将士に死の覚悟を持ってもらわねばならない。
そのときには、人間としての尊厳も満たした部分を持たねば、
いわば、「大義名分」とは少し違うけれど、
ひとが、やむを得ない、このことのために
自分の死を差し出そうという雰囲気を演出しなければならない。
人の死の担保者としての武将には、
そういった心得が必要になってくる。
日本の宗教には、このような無数の死をどのように止揚するかの
歴史的経験値がたくさん凝縮されているのでしょう。
たぶん、史上未曾有の死が折り重なった戦国を超え、
ようやくたどりついた平和な時代、
最終的勝利者として、宗教的施設を造営するときに
かれとしては、というか、徳川政権としては、
このような鎮魂の空間を演出したと言うこと。
支配者に対して傅く、というふうに考えるか、
それともこういった空間の先に、大量死の光景を思い浮かべるか、
考え方は別れるところですが、
日本人は、死生の堺を超える空間性というものを考えるとき、
この写真のような空間性にその表現を見いだしてきた。
そんなような思いが感じられます。
北のくらしデザインセンター
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