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感受性を扱う仕事の環境

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わたしどもの会社は、住宅の雑誌を作っているのですが、
こういう仕事って、ひとの感受性を扱うビジネスだと自己規定しています。
住宅って究極的には、ひとに癒やしを提供する装置。
都市居住のほうが、現代人ははるかに多く、
たとえ地方居住とは言っても、地域の「中核的都市」との「利便性」が
大きな生命維持バックグラウンドを形成している。
そういった大きな意味での「利便性」と、「癒やし」の間で
揺れ動き続けているのが、現代生活だろうと思います。
その現代人の暮らしの基盤が、住宅であるのだと。
基本的には利便性という大枠の中で、しかし、癒やしをどう実現するのか
住宅が考えるべきことは、基本的にはこのポイント。

で、そういうことを考え続けていく環境はどうあるべきか、
事務所環境構築で、土地購入から建築まで経験し、
そこから建物や周辺環境の維持管理を続けているわけです。
むしろ、そういうことの「管理者」という側面の方が
だんだんと大きくなってこざるを得ない。
よりよい「情報品質」を生み出す環境は、どうであらねばならないか、
そんなことを日々考える部分があるのです。
大きくは、環境全体を考える仕事なので、
建築家のみなさんと共有する部分が多いけれど、
環境を受け留める主体に特殊性があり、ちょっと違いがあります。
そうすると、やはり緑や建築と共生する「ゆらぎ」の環境構築に、
いちばん関心が湧いてくる次第であります。
感受性が受け取る情報系で、いちばん参考になり得るのは
自然が訴求してくるデザインであることは間違いがない。
ながく四季変化を経験してきて、自然が発するサインには
あらゆる意味での完成されたデザインが仕込まれていると思います。
そういう、いわば人間の「共通の感受性」を通信ルートにして
無意識的に「伝わっていく」表現活動というのが、求められていると。
たぶん、この国、この風土の四季変化をもっとも雄弁に物語る
植栽・樹木などが、すべて人間コントロール下に置かれているのが
京都などの積層した日本的文化遺産、資産群だろうと思います。
一方でまだ、日本人の文化意識が十分に刷り込まれているとは
言い切れないこのフロンティア、北海道で
こうした人間環境を考え続けることは、刺激的である部分が多い。
そんな雑感をいつも感じ続けております。

さて本日から3日間、東京への出張であります。
梅雨末期、蒸暑の空気感をたっぷりと体感してきたいと思います(笑)。

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