段々とこんなことも考えるようになるもので・・・。
先日見に行った、栗山町の「小林酒造」で目にした展示書簡。
この小林家は、新潟県から北海道に移住してきた家系。
途中で、家の存続のために郷里の新潟から婿養子を取ったのだそうです。
その婿養子が、なんと、総理大臣を務めた田中角栄さんの縁者。
なので、書簡の封筒に「田中角栄」とか、
かれのお父さん、角次さんの名前の封筒とかが展示されていたのです。
こんにちでは、家の存続というようなことは
一部の世界を除けば、あまり顧みられることのない事柄。
家、というものが人間の営みの基本であった時代は遠くなっていますが、
でも、ほんのちょっと前まで、
家って、その存続のために、
たとえば武家であれば、自分の命と引き替えに存続を図ったことだったのですね。
戦場でかれらが、何を信じて死を選んでいったのか、
それは自らが自分の死を掛けても、その主人に対して奉公したことを
主人がきちんと記憶し、見届けてくれることを確認して、
子孫の生存の保証を主人たる武将と契約していたのです。
そういう保証人である、ということが武将の最大要件だった。
そこまで、懸命に存続を図ってきたのが、
日本人にとっての「家」概念だったのですね。
で、それはけっして、血の存続としての身内意識だけではない。
この小林家のように、
存続のために、まったく違う血統を、その家系に入れることも辞さなかったのですね。
もちろん、そこにはいろいろな事情が存在したであろうと思われるのですが、
冷徹に、家の存続のために、本来の血筋が存在していても
場合によっては、これと見込んだ婿養子を入れたりもしたのですね。
とくに関西の商家などでは、伝統的に
ビジネスの才覚を奉公人の中から選抜して
血筋としての部分は、娘に託して家系の存続を図ってきたりしています。
わたしの家系でも、
江戸期に、そういうことがあったりしたのだそうです。
なんと、そのときは夫婦とも外部から招いて、まるごと家を相続しています。
家をまったく別人に託したりしているのです。
ちょっと考えにくいのですが、
日本的な「家」概念って、こういうものだったのですね。
そしてこのような概念で存続してきた家の、建物っていうのも
けっして短命な、簡易な存在ではなく、
相当長期にわたっての存続が前提になるような、資産として考えてきたのです。
戦後以降、家と言うよりも
「個人」が優先する考えが社会の基本になってきたのですが、
むしろこういう個人主義の社会の方が、日本にとっては特殊な時代なのだという
そういう視点も必要なのではないかと、昨今、感じています。
北のくらしデザインセンター
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Posted on 4月 9th, 2009 by replanmin
Filed under: 古民家シリーズ
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