本日は、休日に付き大好きな歴史ネタであります、ご容赦を(笑)。
さて、北海道から北陸に来ると
越前〜福井〜琵琶湖という日本史のメーンストリートを
なんとしてもたどってみたくなる。
歴史大好きなのに、その舞台からやや縁遠い北海道にいて
足掻くような渇望感を持ってしまうのであります(笑)。
たぶん、琵琶湖周辺に住んでいるみなさんには
理解出来ない心情かも知れません。
そんな強い思いをようやくきのう、果たすことが出来ました。
温暖な京周辺、琵琶湖周辺で活発に政治勢力を糾合し続けていた
ライバルの秀吉に、人生の最末期、たまりかねて
大雪を掻き分けて乾坤一擲の軍を催した柴田勝家の気分のように
北陸道を南下して、琵琶湖周辺を目指した次第です。
途中そこかしこ、賤ヶ岳とか姉川とか、長浜とか、
日本史の重要舞台の地名がバンバン出現してくる。
まさに歴史好きには、否が応でもテンションが高まってしまう。
そうか、こういった地形・背景において
あの故事は生起したのかと、いちいちの想念がハイスピードで迫ってくる。
戦国期が一般的にいちばんポピュラーでしょうが、
それ以前の歴史過程でも、阿倍比羅夫の北征による北海道へのヤマトの進軍。
「会津」の地名が起こった、2手に分かれたヤマト軍の東北征服戦争故事。
さらに越前出自の継体王朝という明白な王統交代。
そして天智から天武へのこれも王統交代である壬辰の乱などなど、
畿内から見て「北国」にあたる北陸からは、大陸や北方世界の刺激が
いわば日本列島社会へ流れ込んだ文明文化として、この琵琶湖が
主要な「交通路」として、歴史を通じて主舞台になって来た。
わずかではあれ、その地相・地形を、肌で感受して見ることができました。
主要な交易路がここであったことで、
「近江商人」というビジネスネットワークが列島各地に拡散し、
ながく日本の経済もこの地域が主導してきたのだと思います。
そして、写真の長浜の地に、秀吉は最初の領地を得て、
やがて国家権力を握っていく橋頭堡を開いていった。
琵琶湖周辺のあちこちを巡り歩いたあと、
最後にこの長浜から、琵琶湖の風景をピンナップさせていただいた。
丸1日が、まったくの一瞬のように、
日本史のあれこれのことが目とカラダまるごとで感受され
たっぷりと飛び込んできてくれたような、至福の1日でありました。
北海道に戻って、カラダで受け止めたことを
じっくりと丹念に反芻させて、リアリティにまで高めていきたいと思います。
Posted on 1月 25th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
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