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松井郁夫・伝統木造「せがい造り」の家

1925

さてきのうは、朝から新橋で札幌からのメンバーと待ち合わせして
千葉市美浜区に建つ住宅の見学へ。
先般、北海道で講演していただいた松井郁夫氏設計の
伝統木造住宅の見学です。
本州地区に来ると、わたしどものような北方圏住宅雑誌は
当然のようにガチガチ高断熱高気密派、って見られるようで、
まぁそれはそれでいいのですが、
個人としては、日本中の古民家を見て歩くのが最大の楽しみで、
見る度に、民族的な血と知のゆらぎを感じて
DNA的に喜んでいるタイプであります。
そういう感受性を持った作り手も北海道には多く存在しています。
また北海道の施主さんも、それが寒くなければ、
別にデザイン的に拒否感を持つということはないと思っています。
北海道は、開拓入植の初期、
それなりに農業などで成功した人たちが、それぞれの出身地から
大工を呼んで、日本各地の「民家」を造った。
開拓初期だったので、そこで使われた建築材は、
周辺に自生していたナラなどのすばらしい木材がふんだんに使われた。
それなりの建築技術を持ったその時代の
伝統的な日本各地の住宅建築のプロたちは
しかし、北海道の気候風土に決定的な完敗を喫した。

1926

夏の「通風重視」の住宅では、過酷な屋外気候と大差のない室内という
決定的な間違いを犯し、人が辛く住み難い粗大ゴミを生産してしまった。
困ったことに、建てた人間たちは建ててすぐにこの地を去って行った。
「出稼ぎ」感覚で作り続けて、その後の家のありようまで
責任を取り、看取り続けることは出来なかったのです。
その失敗の残滓は、北海道人の意識の底に残った。
そうした伝統的なものへの忌避の感情があるとすれば、
そういった体験から来るモノではあるのですが、
しかし、同時に百年を超えて住みつづけてくるなかで
その記憶が消えてきて、徐々に「伝統」への愛着の念も起きてきている。
辛いことは薄らいでいって、やがて過去は美化されると言われるように
そんな意識の転換はあるのだと思うのです。
わたし自身、北海道で年に数百棟もの住宅を見続ける中で
そのなかから、日本人的なアイデンティティを強く欲するようになった。
高断熱高気密という徹底的に合理的なスタンスでの家づくりを求めつつ、
同時に、生きてきた感受性の部分で、日本的なるものに
逃れがたい郷愁を持つようになってきたのでしょう。
そういうふうに考える北海道の人間も多いのです。
いま、わたしたち北海道発祥の高断熱高気密住宅技術や
ドイツパッシブハウスに代表される欧米的合理主義価値観に
強い同意を持ちながら、同時に日本的なるものの復元力にも
大きな期待感を持っている次第なのです。

せがい造りの豪放な空間構成力に
まさに民族的なデザインDNAを感じておりました。

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