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アイヌ文化取材-1

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檫文の文化世界を取材したいと考えている。
あ、檫文っていうのは、土器の名前で北海道の中央部、
石狩低地帯と呼ばれる札幌などの道央圏地域に
7~8世紀から12世紀くらいに繁栄した文化圏のことです。
この文化は、稲作だけがない鉄器受容の文化で、
本州地域日本との交易によって社会機能が維持されてきた文化と言われる。
もちろん、その後のアイヌ文化と同様に文字表記を持たない文化なので、
文献記録で残されているものはほとんどない。
そういう困難をなんとか乗り越えて、
当時の社会の成り立ちや暮らしぶりへの想像力を働かせてみたいと考えています。
とはいっても、困難は相当なレベルの感じがします。
しかし、手がかりはある。
そのあとの民族歴史であるアイヌのみなさんの社会痕跡が残されている。
そういうものを掘り起こしながら、想像力を高めていくしかない。
というような次第で、日高地方の二風谷に行って参りました。
以前、ダムの関係で仕事があり、何度か訪問したのですが、
今回のような目的的な興味がなかったので、ほとんど記憶がありませんでした。
二風谷ダムはアイヌのみなさんのコタンの生活領域に関わった開発行為だったので、
デリケートに扱われ、そのためアイヌ民族文化の保護保全に
多くの国費が費やされた結果、立派な資料館などができています。
写真は丸木船です。
民族の基本的な生活文化というのは、ほぼ似た側面がありますが、
河川の水利を利用するというのは基本的な要素。
そのために船を造るのも、洋の東西を問わない。
まぁ、そういう意味ではごくありふれた展示なのですが、
ここではその製造方法へのチャレンジ映像も公開されていました。
アイヌのみなさんはその文化の初めから鉄器を受容しているのですが、
木を削っていくのに、鉄以外の石器によってのチャレンジも試していました。
そしてその目的に最適な石材もこの地域の河川敷から採取されるのだそうです。
二風谷地域は早期縄文遺跡から積層しているのですが、
その意味で、人間生活に暮らしよい地域だったことが容易に推測できます。
で、その石で丸木船を彫り込んでいくと、実に最適なのだそうです。
こういう情報もあわせて聞くと、まざまざと人間の暮らしが明瞭化する。
それにしても、丸木船を造るというのは大変な労力がいる作業。
なので、できあがると木の神に対しての感謝の儀式も行うのだとか。
こういう船を操って、魚を採取したりするわけで
まさにひとの生存に関わる大切な道具。
同時に展示で興味深かったのが、何を食べていたのかの部分。
男性による狩猟採取の部分ばかりが強調されるけれど、
むしろ、女性たちの労働による、ヒエ・アワ・イモなどの炭水化物農耕や、
山菜などのビタミン採取の季節の生活の知恵などの部分が大きい。
さまざまな山菜への豊かな知恵、その保存や調理方法など、
実に豊かな生活文化が理解されます。
四季の変化に応じた食文化の世界は、豊穣な北国の暮らしの実相を感じます。
このような、北海道の気候条件に適した暮らし方って、
すごいものだと思いました。
あしたは、アイヌの人たちの住まい、「チセ」について見てみたいと思います。
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